NHKBSプレミアム特集<ZARDよ永遠なれ 坂井泉水の歌はこう生まれた>

皆様こんにちは
2019年4月20日(土)21:00~22:59
BSプレミアム特集<ZARDよ永遠なれ 坂井泉水の歌はこう生まれた>
を見ました。2時間にわたり様々な方面から取材されていて坂井さんの素顔により近づけたような気がします。NHK取材班の皆様ありがとうございました。
再放送(BSプレミアム5月18日(土)PM2:30~)が楽しみです。
幾つかの点メモしてみました。走り書きなので正確ではないかもしれません。また私のコメントも書いてみました。

 

「メモ」
寺尾広氏談
「“Good buy my Loneliness”の歌詞は、“涙くんさよなら(浜口庫之助作詞作曲、坂本九歌1965年)をもとに考えたもの」
岩井俊二氏談
「初期のPVを撮っていた頃、坂井さんは“箱根の森美術館に行って、ピカソを見て来た。アーティストを目指すなら見ておいた方がいいかなと思って”と言っていた」
大黒摩季氏談
「(“負けないで”の頃)坂井さんはメロディを何百回も聴いていて、“メロディを聴いていたら言葉が聞こえて来る”と言っていた。」
「負けないで」には英語バージョンがある。
「(“揺れる想い”の頃)坂井さんは、“体中”の様に漢字ではなく、“体じゅう感じて”と平仮名で表記することにした。“体の中だけでなく、外も”という意」
・歌詞原稿直筆メモ500枚
「詩人というのは、外に出ない分、作品に言葉をぶつけているのでしょうね」
・音楽評論家伊藤某氏談
「80年代はバンドブームだったが、90年代になって個性を尊重するようになった」
「坂井さんの歌詞を“聞いた人の心に寄り添っている”と言ったところ、坂井さんは“自分自身ではよく分からないけれど、そういう風に感じてもらえたらとても嬉しいです”と答えた」
三重県小学校教師平山氏 大阪教育大学の卒論でZARDの歌詞を分析した。
「“とき“にあてはめられた漢字は、時間、季節、月日、国境、運命など9種類ある」
・坂井さん
「(休養中に)これからも感性を大切にしたい」

 

「コメント」
1) ピカソについて
坂井さんは、影響を受けたアーティストの一人としてピカソ(1881年―1973年)をあげていますが、岩井さんのコメントでそのスタートの様子がよくわかりました。その影響として下記の3つがあるのではと思いました。
1-1)
ピカソには青を基調とした「青の時代」(1901年~1904年)があり、坂井さんはCDジャケットなどでZARDブルーを好んでいます。しかしwikipedeiaによれば「(ピカソは)19歳のとき、親友のカサヘマスが自殺したことに大きなショックを受け、鬱屈した心象を、無機顔料のプロシア青を基調に使い、盲人、娼婦、乞食など社会の底辺に生きる人々を題材にした作品群を描いた。現在“青の時代”という言葉は、孤独で不安な青春時代を表す一般名詞のようになっている」とあり実際画調は暗く暗鬱です。坂井さんがZARDブルーというとき、単に明るい青というイメージではなく、このイメージも含んでいるのではないか思います。
1-2)
少し長くなりますが美術評論家瀬木慎一氏の著作(「ピカソ集英社新書)から一部引用させていただきます。
ピカソの経歴で最初の最も輝かしい成功は、1897年16歳のときに描いた、大作「科学と恩寵」がマドリッドの官展で佳作となり、その後、マラガの展覧会で金賞を獲得したことである。今もバルセロナピカソ美術館にそのコレクションの中心として飾られている。
この「科学と恩寵」は、テーマも情調もともに悲痛である。今死につつある若い母を前にして、熟練した医師が脈を険しい表情で確かめ、その向こうでは、何も分からない幼児を抱きかかえた尼僧が見守っているという構図は、その写実技法が卓抜であることに驚かされるばかりでなく、作者がこの若年において死という人生における最も深刻な問題に、まったくひるむことなく立ち向かっている事実に、心を動かされる。
この構図には先例はなく、何に触発されてこの一点の深刻な絵画を描いたのかは、必ずしも明白ではない。しかし、単なる想像の所産とは考えられず、それに、この時期の作品に死に関わるものが少なくないことから、思春期にあって、これから長い人生を生きようとしているこの青年の身辺に、早くも、このこと、すなわち聖書の言葉で言えば、「メメント・モリ(死を忘れるな)」という戒めを自覚させる事例が、次々に起っていたにちがいない。」
坂井さんが1991年24歳でデビューした年の作品に『いつかは…』(2ndアルバム「もう探さない」があります。たいへん珍しいことに作曲も坂井さんです。この作品は死を目前にした主人公の独白体で、悲痛な思いが綴られていますが、最後は「忘れないで ずっと
あなたの中に 生き続けるわ」と蘇る新たな生への希望を歌っています。坂井さんは若くして死と直面し、これを乗り越えようとしており、これは坂井さんの全ての作品の通奏低音として流れているようです。ピカソの影響があったのかどうかは分かりませんが、若くして死を見つめる点において共通していると思います。
1-3)
現代の美術に大きな影響を与えたピカソ等がはじめたキュビスムは、従来の画法が、対象を一つの視点から描いていたのに対し、様々な角度から見て一つの画に描くという手法です。ルネサンス以来の機械的な遠近法を否定することでもあり、3次元のものをどのように2次元に描くかという問いから生まれたとも考えられます。これは絵画の手法ですが、歌詞の世界にあてはめると、一つの物語を様々な空間や時間の中でおこるものとして描く、すなわち視点を変えるという方法が考えられます。じっさい、坂井さんの作品の多くは、この手法で書かれたいるようです。近景と遠景、過去現在未来が様々に交錯し、番組でチャンカワイさんが言っていたように「宇宙の底に二人生きてる」と宇宙からの視点もあります。さらに進んで、あの世とこの世、彼岸と此岸、生と死からの視点も生まれてきます。その中で物語が浮かび上がってきます。世阿弥のいう「離見の見」のようでもあります。ただし、坂井さんは単に眺めたり観察したりするのではなく、そのような世界で生きていく人々の営みに優しく寄り添い見守っているようです。


2) 歌詞の表記について
2-1)
歌詞というのは、聴かれることを本来の目的としているので、その表記方法はあまり重要ではない(発音が伝わればそれでよい)というのがふつうの考え方かもしれません。まして「揺れる想い」は商品のCMソングとして作られたものなので一層そのように考えがちです。しかし坂井さんは真摯に制作に取り組んだ結果、表記自体に意味があることを見出したようです。平山さんの指摘された「国境」を「とき」と呼ぶなど坂井さんの作品に漢字にルビを振って二重の意味を持たせる方法が多くみられるのも同じです。「国境」についていえば、国境は空間の中にありますが、「とき」は時間であり、本来両立しないものですがこれも、「生身の人間が国境を超えるには時間を要する」と考えると、観念的、抽象的でな「国境」ではなく、体感を表現しようとしたのかもしれません。「体じゅう」という表記と通じるものがあるようです。これも広い意味でのキュビスムかと思います。
2-2)
坂井さんの作品は、アニメのテーマソングも多くて、それらを中心に海外のファンの方も多くいます。日本語の表記云々は海外のファンにとってはわからないことかもしれませんが、、表記一つをとっても真摯に制作に取り組み、言葉を詞を大切にしてきた坂井さんの心が音楽を通して、世界中のファンに共感を呼び愛されているのではないでしょうか。

2-3)
ここに紹介していいかどうかよくわかりませんが、平山さんの論文は下記にUPされており、たいへんよく分析されていると思います。
http://www.osaka-kyoiku.ac.jp/~kokugo/nonami/2013soturon/hirayama/hirayama_sotugyouronbun.html

 

以上です。
あまり考える時間がなかったので、雑駁な文章になりましたが、お読みいただければうれしいです。
これからも少しづつ坂井さんの作品についての考察をUPしていく予定です。

PS;5月27日には例年通り献花に行きたいと思っています。