眠れない夜を抱いて
作詞:坂井泉水 作曲:織田哲郎坂井泉水 編曲:明石昌夫池田大介
初収録:4thシングル(1992年8月5日発売))、3ndアルバム「HOLD ME」(1992年9月2日発売)
タイアップ:TV朝日系『トゥナイト』エンディングテーマ
歌詞(アルバム盤)


ざわめく都市(まち)の景色が止まる
あの日見たデ・ジャ・ヴと重なる影
もしもあの時 出逢わなければ
傷つけ合うことを 知らなかった

いじわるに言葉はすれ違うけど
愛を求めてる

眠れない夜を抱いて
不思議な世界へと行く
まだ少女の頃の
あどけない笑顔に戻って
in my dream mystery

こぼれた夢のカケラをすくって
慣れてゆく毎日を確かめてゆく
もしもあの時 少し大人になってたら
サヨナラ言えなかった

解けてゆく孤独な心はいつも
愛を求めてる

眠れない夜を抱いて
駆け抜けた時間(とき)を想うの
まだ少女の頃の
あどけない笑顔に戻って
in my dream mystery

眠れない夜を抱いて
不思議な世界へと行く
まだ少女の頃の
あどけない笑顔に戻って
in my dream mystery

眠れない夜を抱いて
駆け抜けた時間(とき)を想うの
まだ少女の頃の
あどけない笑顔に戻って
in my dream mystery

 


作者の言葉
この作品について、作者はインタビューでつぎのように言っている。
 「この『眠れない~』については、・・・ずーっと年を重ねてくると、良いこと悪いことがたくさんありますよね。たまにそんな昔の過ぎた出来事を振り返るのも必要じゃないかな、たまに振り返って改めて今の自分の位置とか今の自分を確認して、その上で前に進むこともいいんじゃないかな、ということなんです。
 歌詞の中に“デ・ジャ・ヴ”という言葉が出てくるんですけど、それが全体のテーマになってますね。
主人公の女性がデ・ジャ・ヴを感じとるところから始まって、ストーリーが展開していくんです。
デ・ジャ・ヴを体験して“あの頃に戻りたい”という気持ちになる。メロディーの変化とともに現在、過去、未来の時間の経過を表したという感じかな。
「デ・ジャ・ヴがインスピレーションで浮かんできたんです。デ・ジャ・ヴと重なる場所は好きな人との思い出の場所なんです。だから、もう一度デジャヴで見た頃に帰りたいといって、メルヘンチックな詞なんです。」

 

歌詞の内容
作者の言っていることを歌詞に沿って確かめてみたい。
歌詞の内容を時系列に並べて見ると、
「ざわめく都市(まち)の景色が止まる」のは現在であり、別れたのは過去、出逢ったのは過去の過去、出逢った時に浮かんだデ・ジャ・ヴは過去の過去の過去となる。「まだ少女の頃」はさらにそれよりもさらに過去になる。

「現在、過去、未来の時間の経過を表したという感じかな」という作者の言葉通りの世界が描かれている。しかし内容はそれほど単純ではないように思われる。

デ・ジャ・ヴとは、実際は初めて体験したことが、すでにどこかで体験したことのように感じる現象といわれている。本作品では「あの日見たデ・ジャ・ヴ」(=過去の過去の過去)とはすなわち「ざわめく都市(まち)の景色」(=現在)であり、時間が交錯している不思議な世界である。

「時間の経過を表したという感じ」は実は単なる時系列を表すというよりは、その間を自由に行き来する心の経過を表すと言った方が作者の意に近いのではないかと思われる。
これらの時は外部の世界にあるのではなく、すべて心に記憶として存在し、心は自在に現在と過去を行き来し感じている。あたかも1枚の絵画に、過去から現在までのすべての情景が描かれており、それを一瞬のうちに見ることができるように。

 

文体
文体の面から見ても、文末の時間の表現、いわゆる時制が、現在と過去の2つの分かれかつ交錯している。

ざわめく都市(まち)の景色が止まる(現在)
傷つけ合うことを 知らなかった(過去)
愛を求めてる(現在)
不思議な世界へと行く(現在)
慣れてゆく毎日を確かめてゆく(現在)
サヨナラ言えなかった(過去)

語尾が「た(ta)」系の過去形と「る(ru)」や「く(ku)」系の現在形が、ランダムに現れており、心はその間を自由に動いている。

 

他の作品との比較
このような時の流れを様々な視点から取り上げることは坂井の作品の特徴の一つであり、例えば、「不思議ね…」(1991年6月)や、「DAN DAN心魅かれてく」1996年7月)がある。

「不思議ね・・・」では、冒頭に、
流れてゆく街並/すれ違う景色が知らず知らずのうちに/崩れてゆく 
とあり、動きが感じられ、動きが時間を生じさせる一つの要因となっている。

これに対し本作品では、冒頭の部分は
ざわめく都市(まち)の景色が止まる/あの日見たデ・ジャ・ヴと重なる影
と動きはなく、静止している。

時間の流れを表すのは、「不思議ね・・・」では動であり、本作品では静である。

「不思議ね・・・」ではまた五感による外部からの刺激による生じる感覚や季節感があるが、本作品では心の中の動きに焦点をあてている。

また作者は、「デ・ジャ・ヴと重なる場所」について、歌詞にはないが、好きな人との思い出の場所、とコメントしている。

これについては、「DAN DAN心魅かれてく」(1996年7月)で、
君と出会ったとき/子供の頃 大切に想っていた景色(ばしょ)を思い出したんだ
とあるのが作者の持つイメージを表しているようである。

さらにDANDANでは恋愛の三角関係、すなわち当事者以外の第三者の存在があるが本作品では第三者は登場せず、もっぱら内面で感じる時の流れとの心の動き、に焦点を合わせている。

このように見て来ると、他の作品と比べた本作品の最大の特徴は、外部の環境や状況ではなく、心の中に焦点を当てていることである。これにより、記憶にある時そのものが鮮明に浮かび上がり、それは「不思議な世界へと行く」ことである。


未来への視点
時がそのようであることを感じることは、必然的に未来へも目を向けることになる。

「ながらへば またこのごろや しのばれむ 憂(う)しと見し世ぞ 今は恋しき」 (藤原清輔)
という古歌は、憂し、すなわち辛いと思っていた時も、それが過去になれば恋しく感じられる。それならば現在辛いと思っていても、未来になればやはり恋しく思い出すかもしれない、と未来に対する期待を感じている。

「たまに振り返って改めて今の自分の位置とか今の自分を確認して、その上で前に進むこともいいんじゃないかな、ということなんです」という作者の思いは、「こぼれた夢のカケラをすくって 慣れてゆく毎日を確かめてゆく」という詞に表されている。
出逢いと別れ、悔恨という、切ない状況を述べながら、単に過去に捉われるのではなく、時を感じることによって、「駆け抜けた時間(とき)を想う」ことによって未来へ目を向けることができるということを伝えようとしている。


タイトルの由来
眠れない夜を抱いて」というタイトルにもサビの部分にもなっている、本作品の最もキーとなるフレーズは、時の流れの中で、不安にさいなまれたり希望に満ち溢れたりと、揺れ動く心情をあらわしている。
この耳慣れない比喩表現はどのようにしてうまれてきたのだろうか。

そのヒントになりそうなのが19世紀のフランスの詩人アルチュール・ランボーArthur Rimbaud, 1854年 - 1891)である。彼の詩集「イリュミナシオン」の中には「眠られぬ夜」というタイトルの詩があり、また「夜明け」という作品には、

「俺は夏の夜明けを抱きしめた

目覚めると正午だった」

という表現がある。ランボーは「夜明け」を、作者は「眠れない夜」を抱きしめている。作者は、影響を受けた芸術家としてオーストリアの詩人リルケや画家のピカソをあげている。リルケはフランスでも詩作をしており、またピカソにはランボーを描いた作品があり、その関係から影響を受けたのかもしれない。

以上