運命のルーレット廻して
作詞:坂井泉水 作曲:栗林誠一郎 編曲:池田大介
初収録:25thシングル(1998年9月17日発売)
タイアップ:読売TV・日本TV系アニメ「名探偵コナン」オープニングテーマ
歌詞(CD&DVD08)
運命のルーレット廻して
ずっと 君を見ていた

何故なの こんなに 幸せなのに
水平線を見ると 哀しくなる
あの頃の自分を遠くで見ている そんな感じ

運命のルーレット廻して
アレコレ深く考えるのは Mystery
ほら 運命の人はそこにいる
ずっと 君を見ていた

星空を見上げて 笑顔(ウインク)ひとつで
この高い所からでも 飛べそうじゃん
スピード上げ 望遠鏡を 覗いたら
未来が見えるよ

運命のルーレット廻して
何処に行けば 想い出に会える?
青い地球の ちっぽけな二人は
今も 進化しつづける


運命のルーレット廻して
旅立つ時の翼は bravely
ほらどんな時も 幸運は待ってる
ずっと 君を見ていた


ずっと 君を見ていた

 

 

全体のイメージがポジティブ
本作品は全体の特徴として、ポジティブな表現が多い。それらの言葉やフレーズが作品の中で和音のように相互に響き合い、過去から未来へと向かうイメージを創り上げている。

作者は本作品について、
「曲を聴いた時に映画「時計じかけのオレンジ」が思い浮かびました。“運命のルーレット廻して”という言葉には、ネガティブな意味じゃなく、もう、イチかバチかの賭けみたいな、ね。人生どうなっていくか楽しみでもあり、不安でもあり……、そういう意味を込めています。
 歌詞で一番気に入っているフレーズは、“この高い所からでも飛べそうじゃん”という所かな……。」
と語っている。


時間と空間が一体化した広大な世界

“あの頃の自分を遠くで見ている そんな感じ”
“スピード上げ 望遠鏡を 覗いたら未来が見えるよ”
“何処に行けば 想い出に会える?

“あの頃の自分”や“想い出”は過去のある時期についての記憶であり、それが“遠くで見ている”や“何処”と空間表現と一体となっている。
また、望遠鏡を覗いて見えるのは遠方であり、そこに未来が見える、とここでは空間と時間が一体となって表現されている。遠方と未来はともに奥という言葉で表されることを考えると、未来(=奥=遠方)が見える、という発想の連鎖から来ているように思え、時空間が一体となった広大な世界のイメージが浮かび上がる。


映像も広く大きい
“水平線”から“星空”へと視線は移り、さらに一転して、遥か無限の宇宙から“青い地球”を見つめる。あたかもズームアウトするかのような映像のスケールは大きい。
地球を見つめる視線は、世阿弥の言う「離見の見」(自らを観客であるかのように見ている役者の視線)のようでもあり、レヴィ=ストロースの言う、自他の文化を遥か遠くから見つめる「はるかなる視線」のようでもある。

色彩的には、水平線の青、漆黒の夜空の中に星々がきらめき、その無限の宇宙を背景とした青い地球、とコントラストが鮮やかである。


運命のルーレットを廻すのは?
詞の中で登場する人物は“君”、“運命の人”、“自分”、“二人”である。
“自分”=私として見ると、“二人”は私と君となる。
私を離れて見れば私は君という呼びかけの対象ともなる。君は君でもあり私でもある。

レヴィ=ストロースは、日本語の特性として、「日本語の構造は一般性から出発して、特殊性へと進む。個人をもっとも一般的な帰属から、もっとも特殊なものにまで順次降りていくことによって定義する。」と語り、さらにこの順次降りていく過程や結果は必ずしも一義的には定めることはできない、と言っている。

本作品においても、君が、誰を指すかは一義的に定めることはできず、読む人や聴く人の判断にゆだねられることになり、それだけ想像の世界が拡がる。

運命の人とは誰か、運命のルーレットを廻しているのは誰か、も同じである。
二人は互いに出逢いに至るまでに歩んで来た道が運命であると感じている。それは、巡り合ったときに相手と共に生きてゆくという未来が開かれたことを強く感じたからである。


過去から未来へ

“何処に行けば 想い出に会える?”
“あの頃の自分を遠くで見ている そんな感じ”

「嘗て愛した場所に再び出かけるのは空しいことである。そんな場所には二度と会えないだろう。かつて愛した場所、すなわち記憶の場所は存在していない、時の中に位置しているのであり、二度と逢えないのである。子供の頃大切に思っていた場所、それは果てない闇の中に消えている」(アンドレ・モーロワ)。

“水平線を見ると 哀しくなる”

子供の頃大切に思っていた場所が果てない闇の中に消えていることを知っているからである。

“何故なの こんなに 幸せなのに”
“どんな時も 幸運は待ってる”
“ずっと 君を見ていた”

しかし今、運命の人に出会えた幸せは何物にも代えがたい。


エラン・ヴィタル(生の跳躍)

“スピード上げ 望遠鏡を 覗いたら未来が見えるよ”
“青い地球の ちっぽけな二人は 今も 進化しつづける”

スピードを上げるとは、速度を変化させる、すなわち加速度をつけることであり、それによってはじめて未来が見える。止まったままでは、何も見えない。「Oh my love」(1994年6月発売)では、“ほら 加速度つけて あなたを好きになる”とある。

ベルクソンは、進化とは、根源的に創造的な過程であり、「意識的存在にとって存在することは変化することであり、変化することは成熟することであり、成熟することは自己を永遠に創造し続けることである」と述べている。

“この高い所からでも 飛べそうじゃん”
“旅立つ時の翼は bravely”

石川啄木は、
 「高きより飛びおりるごとき心もて この一生を 終るすべなきか」(一握の砂)
と歌っている。作者は啄木が好きだと言っているので、この歌の影響があると思われる。
またベルクソンの言う「エラン・ヴィタル(生の跳躍)」につながってゆくように思われる。


最後に

作者は、明日や未来という言葉について、
「この言葉もよく詩に使いますね。私のココロの中のネガティブなパーツが、この明るく響く言葉を渇望するのかもしれない。」と言っている。

詩人の萩原朔太郎は「私は何時も明るい方へ明るい方へと手をのばして悶へながら却って益々暗い谷間へ落ちて行くのである」と書いている。「竹」という詩では、

かたき地面に竹が生え、
地上にするどく竹が生え、
まつしぐらに竹が生え、
凍れる節節りんりんと、
青空のもと竹が生え、
竹、竹、竹が生え。

と書いている。
詩人は「暗い谷間へ落ちて行く」心から「明るい方へ手をのば」そうと、かたい地面から青空に向かってまっしぐらに生える竹からイメージを得て詩を創り、作者は「ココロの中のネガティブなパーツ」が「明るく響く言葉を渇望」しているゆえに本作品を創ったといえる。

最後になるが、詞に現れる英語は

“アレコレ深く考えるのは Mystery”
“旅立つ時の翼は bravely”

と、(i) で脚韻を踏んでいる。「私は言葉を、詞を本当に大切にしてきました」という作者が、このような細かい所にも丁寧に言葉を選んでいることがわかる。

 

以上