『少女の頃に戻ったみたいに』
作詞:坂井泉水 作曲:大野愛果 編曲:池田大介
初収録:25thシングル「運命のルーレット廻してカップリング曲(1998年9月17日発売)
タイアップ:「名探偵コナン14番目の標的(ターゲット)」主題歌
歌詞(CD&DVD09)
くり返し見る夢に
目が覚めてみると
胸の動悸が速いことに気づく

いつも白線 踏みはずして
走る私がいる
なぜ? 理由(わけ)もないのに声をあげて泣きたくなる

幼い少女の頃に戻ったみたいに
やさしく 髪を撫でてくれる
そんな温かい手をいつも待っていた
あなただけは 私を やさしい人にしてくれる
とても 大好きよ とても 大好きよ

どんなに情熱 かたむけても
わかりあえない人もいる
そんな日は 心が曇ってしまうわ

恋は規則正しい リズムを刻まない
心地良いソファーで また 眠ってしまった

懐かしい少女の頃に戻ったみたいに
やさしく 髪を撫でてくれる
そんな温かい手をいつも待っていた
あなただけは 私を そっと包み込んでくれる
とても 愛してる とても愛してる

あなただけは 私を そっと包み込んでくれる
とても 愛してる 赤いハートで

loving you あなたと・・・

 

 

 

 

 


1)作者の言葉
作者は本作品について、次のように語っている。
「ここ最近のZARDでは珍しい女性作家の曲で、そう、不思議と幼い頃の自分が思い出されて、一気に詞が出来たんですよ。」
「”夢物語“のような”室内“をテーマに描いた」
「一番好きなフレーズは“いつも白線踏みはずして 走る私がいる”」

女性作家とはこのとき初めてZARDに曲を提供することになった大野愛果でこれ以降彼女の曲は多く採用されることになる。
これらを手がかりに本作品について考えて見たい。


2)シンプルな表現
一般に作者の作品の特徴の一つとして、五感のような体感を通して感じる外部環境、時間や空間の感覚、様々な語法(比喩、音韻、倒置法、等)や文字表現等を駆使してあるイメージを伝えようとすることがあげられるが、本作品はそのような手法は見られない。
主人公は、部屋の中にいて夢を見たり、物思いにふけったりするが、同じように室内を描いた作品として、

「サヨナラ言えなくて」(1992年9月発売)では、
“窓ににじむ city lights ぼんやり雨の音を楽しんでる
長すぎる夜の過ごし方 上手(うま)くなったみたい“

と視覚や聴覚という感覚、時間の経過などが描写され、

「窓の外はモノクローム」(2001年2月発売)では、
“途切れる言葉 いくつも埋めるように
はしゃいだ夜更けの部屋 窓の外はモノクロ―ム“

と部屋と外の情景が描写されており、それが主人公の心象風景を表している。
これに対し、本作品は、そのような描写はなく、作者の関心は別のところにあるように思われる。
それは何か。


3)くり返し見る夢
くり返し見る夢がどのような内容かは語られていないが、

「瞳閉じて」(作曲:大野愛果 2003年7月発売)では夢について
“心臓(ココロ)を 強く叩いたり 溺れる楊に 涙を流したい
夢の中で よく見知らぬ街を さまよっているの“

とあり、本作品の夢と通じているものがあるように思われる。

たった一人で見知らぬ街をさ迷っている。孤独や不安の中で、道をみつけようと走りだすが、それが知らずに白線を踏みはずし社会のルールからはずれたり、他者や自己を傷つけてしまっていることに気付く。それでもいつもどこかへ走り出そうとする。目が覚めてみると胸の動悸が速いことに気づく。そんなとき声を上げて泣きたくなる
夢の中の出来事が不安な心を象徴している。

 

4)わかりあえない人
“どんなに情熱 かたむけても わかりあえない人もいる
そんな日は 心が曇ってしまうわ“

わかりあえないからといって、憎しみやあきらめというネガティブな感情に走ったり、他者に対して攻撃的な行動をとることは、他者を傷つけ、自己を傷つけるだけである。しかし出口はみつからない。主人公は深い悲しみに沈んでいる。

“恋は規則正しい リズムを刻まない
心地良いソファーで また 眠ってしまった“

わかりあえない世界では、恋は、予定調和的には進まない。

『Don't you see!』(1997年1月発売)では、
“無理をして 疲れて 青ざめた恋は予期せぬ出来事”
といっている。
そのような恋に疲れてしまう。恋という他者との関係が悲しみを象徴している。


5)髪をなでるとは

“幼い少女の頃に戻ったみたいに やさしく 髪を撫でてくれる
そんな温かい手をいつも待っていた“

昔から、女性にとって髪に男の手が触れることは、恋の表現であり心の震える行為だった。

「朝寝髪吾(われ)は梳(けづ)らじ愛(うるわ)しき君が手枕(たまくら)触りてしものを」(万葉集
「黒髪の乱れもしらずうち臥せばまづかきやりし人ぞ恋しき」(和泉式部 後拾遺集

さらに近代になると、女性自身が自立してその美しさを自覚するようになる。
「その子二十櫛にながるる黒髪のおごりの春のうつくしきかな」(与謝野晶子 みだれ髪)

本作品は、少女時代の想い出であること、名探偵コナンという比較的若い世代を対象とするアニメの主題曲であること等もあり、伝統的な「髪を撫でる」というイメージとは異なり、あまり男女関係を連想させない中性的な表現になっている。


6)愛による救い

“あなただけは 私を やさしい人にしてくれる
とても 大好きよ とても 大好きよ“

あなたを想うことによって自分は変わっていく。

揺れる想い』(1993年5月発売)
“運命の出逢い 確かね こんなに 自分が 変わってくなんて”

『来年の夏も』(1994年6月発売)
“あなたの愛のレッスンで 弱い自分も好きになれたの”

わかりあえない人“も”いる、ということはわかりあえない人は複数かつ不特定であることを示唆しているが、私をやさしい人にしてくれるのは、あなた”だけ“たった一人である。
さりげない助詞の使い方からあなたという人が特別な存在であることが浮かび上がってくる。

ドストエフスキーは、他者とどれほど議論しても最後までわかりあえない世界を描いた。
多くの人が傷つき、倒れて行く世界。それは彼の生きた帝政ロシアの世界、長い19世紀の世界、のみでなく、短い20世紀、さらに21世紀の世界でもある。
しかし彼は最後に「愛による救い」を見出している。

ドストエフスキーの影響を大きく受けた萩原朔太郎は、孤独の世界からの救いを愛の中に見出した
「人は一人一人では、いつも永久に、永久に、恐ろしい孤独である。
 とはいえ、我々は決してぽつねんと切りはなされた宇宙の単位ではない。
 我々の顔は、我々の皮膚は、一人一人みんな異なっている。けれども、実際は一人一人にみんな同一のところをもっているのである。この共通を人間同志の間に発見するとき、人類間の『道徳』と『愛』とが生れるのである。そして我々はもはや永久に孤独ではない。」(詩集「月に吠える」序文)

くりかえし見る夢がどのようなものか、どのような情熱を誰に伝えようとしているのか、あなたとはだれか、
具体的なことではなく、「一気に詞が出来た」という作者の言葉通り作者の心の底にある想いをのべたものであろう。
孤独な世界、わかりあえない世界からの救いが愛であるということを。


以上