『Don't you see!』
作詞:坂井泉水 作曲:栗林誠一郎 編曲:葉山たけし
初収録:19thシングル(1997年1月6日発売)
タイアップ:フジTV系アニメ「ドラゴンボールGT」エンディングテーマ
歌詞(CD&DVD05)
友達に手紙を書くときみたいに
スラスラ言葉が出てくればいいのに
もう少しお互いを知り合うには 時間が欲しい
裏切らないのは 家族だけなんて
寂しすぎるよ Love is asking to be loved
信じる事を止めてしまえば 楽になるなってわかってるけど

Don’t you see! 願っても祈っても 奇跡 思い出
        少しは気にかけて
Don’t you see! ちょっと醒めたふりをするクセは
        傷つくのが怖いから

TAXI乗り場で 待ってた時の沈黙は
たった5分なのに ものすごく長く感じた
無理をして 疲れて 青ざめた恋は予期せぬ出来事

Don’t you see!  小さなケンカで
        負けず嫌いな二人だから ホッとしたの
Don’t you see! いろんな人を見るより
        ずっと同じあなたを見ていたい

Don’t you see! I’ll never worry, tonight
I’ll lay me down, tonight
You know, I do it for you.

Don’t you see!  生まれた街の匂い
        暮れかかる街路樹を二人歩けば
Don’t you see! 世界中の誰もが どんなに急いでも
        私をつかまえていて


本作品は、主人公の恋、相手に次第に心を魅かれてゆくさまが描かれている。その様子を様々な方法
で表している。

1)修辞法
<韻>
冒頭の部分の各フレーズの最後は に(ni)、に(ni)、い(i)といずれもi音で終わっている。
(a)友達に手紙を書くときみたいに/
(b)スラスラ言葉が出てくればいいのに/
(c)もう少しお互いを知り合うには時間が欲しい/

アルファベット表示にしてiを大文字Iで表わしてみる。
(a)tomodachI nI tegamI wo kakutokI mItaInI
(b)surasura kotoba ga detekureba IInonI
(c)mousukoshI otagaI wo shIrIaunIwa jIkan ga hoshII

とくに(a)(b)でi音の出現率は高いことがわかる。すなわち、冒頭にi音による脚韻を含むリズムが意識されており、それによって聴く人を一気に曲の中に引き入れる導入効果をあげている。

このような工夫は、古くから知られている。たとえば万葉集には下記の歌がある。
“淡海(あふみ)の海 夕波千鳥汝が鳴けば 心もしのに いにしへ思ほゆ”(柿本人麿)
“aumInoumI yuunamI chIdorI naganakeba kokoromo shInonI InIshIe omohoyu”
となっており、淡海の海夕波千鳥、と最初にi音の脚韻で畳み掛けるようにして一気に歌の世界に引き入れる効果を出している。

<倒置法>
“願っても祈っても/奇跡 思い出”は、 
“奇跡や思い出を/願っても祈っても”であり、

“小さなケンカで/負けず嫌いな二人だから/ホッとしたの”は、
“負けず嫌いの二人だから/小さなケンカで/ホッとしたの”である。

このように文頭に強調したい語句を持ってきて効果をあげている。

<反語>
“信じることをやめてしまえば楽になる”は、
これは、一般的には「信じれば救われる(すなわち楽になる)」となる。想いが伝わらないもどかしさについて自分自身を偽っている心理を表しているのかもしれない。

<比喩>
“青ざめた恋”
これも想いがすれちがうもどかしい気持ちを表している。
これは、米国の詩人エミリ・ディキンスンの、「石英の満足」(”Quartz contentment”)「鉛の時間」(”The Hour of Lead ”)「(はえの)暗うつなうなる音」(“Blue Buzz”)、のような比喩を思い起こさせるる。

このような<倒置法><反語><比喩>等の技法を織り込むことにより、散文的な平板さが打ち消され、聞く側に一瞬おやっ、と思わせ、注意を惹きつけている。


2)エンディングとオープニング
本作品は、TVアニメ「ドラゴンボールGT」のエンディングテーマとして作られたもので、このアニメのオープニングテーマも同じ作者の『DAN DAN心魅かれてく』である。いずれもアニメのストーリーに沿って恋愛や友情をテーマとしているが、比べて見ると異なった視点で描かれていることがわかる。

『DAN DAN心魅かれてく』のほうは、

“果てない暗闇(やみ)から飛び出そう”
“愛と勇気と誇りを持って闘うよ”
“何かあると一番(すぐ)に 君に電話したくなる”
“海の彼方へ 飛び出そうよ”

等積極的、行動的な表現が多い。
また“光と影の Winding Road”、“宇宙(ほし)”、“永遠”など心象風景の象徴として外部の大きな時間と空間の世界へ目を向けており、オープニングテーマ曲とし動的なイメージを追求している。

一方、『Don't you see!』では、

“友達に手紙を書くときみたいに スラスラ言葉が出てくればいいのに”

等冒頭から内省的な言葉が並んでいる。
『DANDAN心魅かれてく』にある、“果てない暗闇(やみ)”、“少しだけ 振り向きたくなるような時”等の表現がさらに強調されている。
また、手紙、家族、TAXI乗り場、小さなケンカ、生まれた街、など身近な世界を描いており、その点でも対照的である。

また、同じような状況でも、
『DANDAN心魅かれてく』では、“二人の会話が 車の音にはばまれて通りに舞うよ” と聴覚による街のざわめきが強調されているが、
『Don't you see!』では、“TAXI乗り場で 待ってた時の沈黙” と内面の心理状態が強調されている。

一方、
“ZEN ZEN 気のないフリ” は “ちょっと醒めたふり”
また
“結局 君のことだけ見ていた” は “ずっと同じあなたを見ていたい”
のように、同じような心理状態を表わしている場合もある。

このように 2つの作品は恋愛あるいは友情という1つのテーマを異なる面から表現している


3)生まれた街の匂い
『DAN DAN心魅かれてく』で述べたように、
「未知にして未踏の風景を包んでいないような顔は一つとして存在せず、愛したものの顔とか夢見た顔で満ちていない風景、来るべき、またはもう過ぎ去った顔を繰り広げない風景など存在しない」とフランスの二人の哲学者ドゥルーズガタリは言っている。

『DAN DAN心魅かれてく』にある “君と出会ったとき”思い出した“子供の頃大切に想っていた景色(ばしょ)”は、
『Don't you see!』の “生まれた街の匂い暮れかかる街路樹”ではないだろうか。
嗅覚、視覚、聴覚などのさまざまな感覚から懐かしい故郷の街の記憶がよみがえる。

フランスの詩人ボードレールが、コレスポンダンス(Correspondance、万物照応)という詩で、嗅覚、視覚、聴覚などのさまざまな感覚が深いところでとけあっていることを言っているのと同じような感覚であろう。

また本来のやまと言葉では、「ニオイという言葉は、色彩あるいは光沢について我々の視覚を強く刺激する場合に言ったので、花がニオウとは、香りを放つというよりはむしろ、はでな色、大変美しく目に映ずる色という意味で、ニオフといったのである。」と広辞苑の著者新村出のいう通り、街の匂いとは街の懐かしい景色でありそれは暮れかかる街路樹で象徴されている。
『星の輝きよ』(2005年発売)で、“出逢った瞬間に 同じ臭(ひかり)を感じた”とあるのも同じである。

それらの感覚が蘇る懐かしい想い、その想いを大切にしたいという気持ちは再び君に向かい、
“いろんな人を見るよりずっと同じあなたを見ていたい”という想いに通じる。

そのあなたに、
“世界中の誰もが どんなに急いでも 私をつかまえていて”
と願っている。
石川啄木は、
「人がみな 同じ方角に向いて行く。それを横より見てゐる心。」
と詠った。啄木は一人だが、主人公はあなたと二人で見ていたい、と願っている。


4)タイトルに込められた意味
『DAN DAN心魅かれてく』は日本語のオノマトペをアルファベットで表わし、『Don't you see!』は英語そのものである。
いずれもタイトルがDで始まるのは同じテーマを表していることを示ているのではないだろうか。このためわざわざ英語の表記をつかっているとも考えられる。作者は第一作のGoodをはじめタイトルに英語を使うことも多いので、その点ではあまり抵抗がなかったのであろう。

『DANDAN心魅かれて行く』気持ちを、“わかってほしい”(Don’t you see )とみると意味の上でもつながっている。
“Don’t you see”は日本語では表せないいろいろなニュアンスを含む表現であり、それ伝えるためとも考えられる。

アルファベット表示は海外へアニメが進出する場合に日本語を知らない視聴者へ、アピールするという点もあると思われる。
この2つの作品は、それぞれ完成された作品であるとともに、2つ並べてみると、お互いに響きあってあらたな輝きを放つように思われる。

以上