『マイフレンド』
作詞:坂井泉水 作曲:織田哲郎 編曲:葉山たけし
初収録 17thシングル(1996年1月8日発売)
タイアップ:TV朝日系アニメ「スラムダンク」エンディングテーマ(アニメの主題歌を担当した最初の曲)
歌詞(CD&DVD COLLCTION02より)

あなたを想うだけで 心は強くなれる
ずっと見つめてるから 走り続けて

ひたむきだった遠い日の夢は
今でも眩しい
どんなに不安がいっぱいでも
真っすぐ自分の道を信じて
飾らない素顔のあなたが好き・・・
変わってしまうことが哀しい

いつも輝いていたね 少年のまま 瞳はMy Friend
あなたがそばにいると 何故か素直になれた
この距離通り抜ける 風になりたい

真実(ほんとう)の愛なら きっと色んな事乗り越えられたのに
星のパレード 涙がこぼれない様に
大きく息を吸った
ひとりでいる時の淋しさより
二人でいる時の孤独の方が哀しい

いつも笑っていたね あの頃二人 せつないMy Friend
あなたを想うだけで心は強くなれる
ずっと見つめてるから 走り続けて

いつも輝いていたね 少年のまま 瞳はMy Friend
あなたを想うだけで心は強くなれた
ずっと見つめてるから 走り続けて

走り続けて・・・

 

本作品についていくつか気の付いた点を述べて見たいと思います。


時間について
本作品は、過去、現在、未来という時間の扱いが一つのカギとなっている。歌詞のうち、時間に関係があるものを順に並べてみると次のようになる。

“あなたを想うだけで 心は強くなれる(現在)/ずっと見つめてるから 走り続けて(未来)”
“いつも輝いていたね 少年のまま 瞳はMy Friend(過去)/あなたがそばにいると 何故か素直になれた(過去)/この距離通り抜ける 風になりたい(現在)”
“いつも笑っていたね あの頃二人 せつないMy Friend(過去)/あなたを想うだけで心は強くなれる(現在)/ずっと見つめてるから 走り続けて(未来)/”
“いつも輝いていたね 少年のまま 瞳はMy Friend(過去)あなたを想うだけで心は強くなれた(過去)/ずっと見つめてるから 走り続けて(未来)”

このように過去、現在、未来といっても単に時間軸上にあるのではなく、複雑な構成になっている。

“ひたむきだった遠い日の夢は(過去)/今でも眩しい(現在)”

と一つの文の中で、過去と現在が混在することもある。
これらの時間は、主に動詞の時制によってまたは、“少年”、“あの頃”、“遠い日”、“今”など抽象的な言葉で表現されているのが特徴である。

過去現在未来について古代ローマの哲学者アウグスティヌスは、
「三つの時がある。過去についての現在、現在についての現在、未来についての現在」
「じっさい、この三つは何か魂のうちにあるものです。魂以外のどこにも見出すことができません。過去についての現在とは「記憶」であり、現在についての現在とは「直観」(しっかりと、じかに見つめること)であり、未来についての現在とは「期待」です」と言っている。

本作品は主人公の過去現在未来についての心の動き、それも人と人との関係についての心の動きを中心に展開されている。聴く人は無意識のうちに個人的な経験や体験から、自らの心の中で想像力を働かせ、それぞれのイメージを創り上げることになる。

スラムダンク」という高校のバスケットボールのチームのメンバーの友情を描いたTVドラマのテーマ曲であることから、また「マイフレンド」というタイトルから、本作品のテーマは表面的には同性間の友情である。一方、人と人との関係についての想いという点から恋愛がテーマというイメージを持つ人もいると思われる。しかし、作者が本当に描きたかったのは同性や異性、時代や場所といったことを超えた普遍的な人と人との関係であるように思われる。

 

仮定法

“飾らない素顔のあなたが好き・・・/変わってしまうことが哀しい”

というフレーズは、飾らない素顔のあなたが好きなのに、あなたは変わってしまうかもしれないと言っているようである。

“真実(ほんとう)の愛なら きっと色んな事乗り越えられたのに”

これはいわゆる仮定法の表現であり、真実(ほんとう)の愛ではなかったので色んな事乗り越えられなかった、ということを示唆しているようである。

友情を歌っているはずの作品で、何故このように一見ネガティブな表現があるのは、過去から現在にかけてこの友情と信頼関係が長い間続いていること、時にはいろいろなこともあったが、それを乗り越え友情は今も続いていること、未来においても友情は変わらず続いていくことを表わそうとしているからではないか。
このような表現は他の作品でも見られる。
“いくつ淋しい季節が来ても/ときめき 抱きしめていたい”「揺れる想い」(1993年)。
“わかりあえてた君とも/いつか温度差があったね/それでも 苦しいのは/一瞬(いっとき)だけだもんね”「夏を待つセイル(帆)のように」(2005年)

一見否定的な表現は逆にそれだけ友情の絆が強いことを表しているように思える。

 

孤独
“ひとりでいる時の淋しさより/二人でいる時の孤独の方が哀しい”

ひとりでいる時には淋しさを感じてたとしても孤独ではない。
「孤独は山になく、街にある。一人の人間にあるのでなく、大勢の人間の「間」にあるのである。孤独は「間」にあるものとして空間のごときものである。」(三木清
「孤独が怖ければ結婚するな」(チェーホフ

孤独という感情は、分かり合えると思っていた人が実はそうではなかったということに気づいた時に感じる。ここでは作者は、すべてを分かり合えることは困難だとしてもある部分でも分かり合えることができれば、それをきっかけに絆を強めていきたいという、思いを伝えようとしている。

 

語順

“いつも輝いていたね 少年のまま 瞳はMy Friend”
このフレーズは、通常の語順では、
「瞳は/少年のまま/輝いていたね」と動詞が最後になるが、“輝いていた”よいう動詞を最初に持ってくることにより、そのイメージが強調されている。

これは、後半にある
“いつも笑っていたね あの頃二人 せつないMy Friend”
でも同じである。

日本語は他の言語と異なって、語順が比較的自由であり、語順を入れ替えても意味が通じるという点が特徴である。このため動詞の意味を強調したい場合には、通常の語順では最後に来る動詞を前の方に持ってくる倒置法が有効である。
作者はこのような日本語の特徴をよく捉えており、歌詞という楽曲に合わせた言葉数しか使えないという制約の中で、語順を変えるという、最もシンプルかつ有効な表現方法により曲全体のイメージを作り上げている。

 

関係
“あなたがそばにいると 何故か素直になれた/この距離通り抜ける 風になりたい”

「愛は私にあるのでも相手にあるのでもなく、いわばその間にある。間にあるというのは二人のいずれよりもまたその関係よりも根源的なものである」(三木清

友情や愛は他者の存在を認め、自分との間の関係を認識し、相互に影響し合うことではじめて成り立つ。あなたの存在が私を素直にさせてくれる。主人公は、二人の間にある愛を風になることにより感じたいと思う。

「時間は主体と他者の関係そのもの」(レヴィナス)。
時間にも距離はある。作者は友情や愛が過去から現在へさらに未来へも続くことを距離という言葉で示唆しているようである。

 

感覚表現
“星のパレード 涙がこぼれない様に/大きく息を吸った”
本作品は抽象的な思考がベースとなっているが、このフレーズは、現実の世界を身体感覚で描写している。涙がこぼれないように上を向くと、暗い夜空にはまるでパレードのように星々が輝いている。パレードは賑やかな音の世界でもある。大きく息を吸うと新鮮な夜の大気の匂いがする。光と音と匂いを体全体で感じる。視覚、聴覚、嗅覚と身体感覚に訴えることによりイメージが広がる。


以上