『負けないで』
作詞:坂井泉水 作曲:織田哲郎 編曲:葉山たけし
初収録:6thシングル(1993年1月27日発売)

歌詞(CD&DVDCOLLECTION01)
ふとした瞬間に 視線がぶつかる
幸福(しあわせ)のときめき 覚えているでしょ
パステルカラーの季節に恋した
あの日のように 輝いている あなたでいてね

負けないで もう少し
最後まで 走り抜けて
どんなに 離れてても
心は そばにいるわ
追いかけて 遥かな夢を

何が起きたって ヘッチャラな顔して
どうにかなるサと おどけてみせるの
“今宵は私((わたくし)と一緒に踊りましょ”
今も そんな あなたが 好きよ 忘れないで

負けないで ほらそこに
ゴールは近づいている
どんなに 離れてても
心は そばにいるわ
感じてね 見つめる瞳

負けないで もう少し
最後まで 走り抜けて
どんなに 離れてても
心は そばにいるわ
追いかけて 遥かな夢を

負けないで ほらそこに
ゴールは近づいている
どんなに 離れてても
心は そばにいるわ
感じてね 見つめる瞳


*************************************
「負けないで」

負けないことと勝つことは同じではない。勝つことは、何らかの対象を必要とし、その対象を倒す、すなわち勝つという意思をもつことから始まる。一方が勝てば他方は敗ける。勝者に対して必ず敗者がいる。勝てば勝つほど敗者の数は増えてゆく。勝敗にこだわる限り、一人の勝者に対して敗者の数は限りなく多くなり、そこにあるのは死屍累々とした荒涼とした廃墟である。

これに対し、負けない、ということは対象を必要としない。他者に勝つことによってしか得られない正義は正義ではない。
宮沢賢治は、その詩の中で、
雨ニモマケズ 風ニモマケズ 雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ 丈夫ナカラダヲモチ~」
と言っている。
雨に負けないとは、雨が降るのを止めることではない。雨は、それに負けない、という意思を引き起こす要因ではあるが、対象ではない。要因を倒すことが目的ではない。雨は、“丈夫ナカラダ”を持つことによってそれを乗り越えようとする意志の要因である。賢治の詩は雨風や季節といった自然現象をあげているが、負けない、という意思を引き起こす要因は自然現象に限る訳ではない。時代や社会環境、家族や恋愛といった人間関係など人を取り巻くものはすべてこの意思の要因たりうる。
ときには不条理なこともある、人を取り巻く外部に起こる様々な現象を直視し、勝つ対象としてではなく、自らの内部に向けた目を向け、乗り越えようとする意思の要因としてとらえることが、負けない、いうことではないだろうか。

勝つことをどれほど追究し、成功したとしても、それで負けない、ということに至るわけではない。勝つ、ことから、負けない、ことへ行くには、意識の飛躍が必要である。
ベルクソンは、家族愛、祖国愛、人類愛という3つの“愛”をあげ、
「われわれは三つとも愛(アムール)という概念のもとへひとまとめにし、同じ言葉で言い表しうるのである。」が、「初めの二つの感情(サンチマン)と第三の感情との間に性質の違いを認める。はじめの二つは選択を、したがってまた除外を含意していよう。つまり、はじめの二つは争いを起こすもとになりかねない。また憎悪をも除外せぬものである。ところが第三のものはひたすら愛である。前二者は自分を惹きつける対象へまっしぐらに進んでゆき、そのうちへ腰をすえる。後者は対象の魅力には屈しない。これはもともとその対象を目指していたのではない。それはさらに遠くへの突進だった。そしてそれが人類に達したのは、どこまでも人類を越えることによってだった。」と言っている。(「道徳と宗教の二つの源泉」森口美都男訳)
彼はこれを、彼の言う生命の創造と進化の原理である"élan vital"(エラン・ヴィタール)「生の飛躍」に対し、"élan d'amour"(エラン・ダムール)「愛の飛躍」と言っている。

作者はさらにその先をみている。他者を倒したり、勝つことを目的としなくとも、みずからの苦しみ、悲しみを克服し、負けない、ための努力が、しらずしらずのうちに他者を傷つけたり、あるいは他人を手段としてしまうことはないだろうか。それは負けないことではない。負けないこととは、他者もまた苦しみ、悲しみを乗り越えようとしていることに共感することである。他者への優しさを忘れないことである。勝者は一人しかいないが、負けない者はひとりではない。負けないことの輪をひろげていくと、自らもまたその輪の中にいることに気づくであろう。そこにはもはや勝者も敗者もいない。
道元は、“同事”ということを説いているがそれは、「勝者と敗者の垣根はいずれ消え、同じになるという教え。」(立松和平)であるという。
太宰治は、“優”には優良可、優勝という力の優劣を示す熟語もあるけれど、“優しさ”とは、人偏に憂うると書くように、人のわびしさ、つらい事に敏感なこと。と言い、さらに「そんな、やさしい人の表情は、いつでも含羞(はにかみ)であります。」と記している。
作者は、悲しみや苦しみを、自分ただ一人のものとしてではなく、おなじ悲しみおなじ苦しみをもつ人人のこととして語っている。このため、性別や年齢や立場にかかわらず、また時代や場所にかかわらず、多くの人に愛されており、未来においても愛され続けるであろう。

作者は、本作品に込められたそのような思いを、様々な言葉や組み合わせから立ち上がってくるイメージで伝えようとしている。それを見ていきたいと思う。


「ふとした瞬間に 視線がぶつかる」
作者自身の言葉によれば、この曲は、恋人である相手の男性が主人公を選ばずに夢を追いかけることに決めた、ということが前提となっており、その意味では“失恋ソング”である。

しかし、作者は、物語を単に伝えるのではない。それは、冒頭の「ふとした瞬間に 視線がぶつかる」から始まる、歌詞の文体(時制)によく表われている。通常、ストーリーは助動詞の「た」や「だった」などの過去形で語られる。しかし本作品は、冒頭の「ふとした瞬間に 視線がぶつかる」をはじめとして、{~る}で終わることの多い現在形で表わされている。過去形をタ形、現在形をル形ということもある。物語を過去形で表わせば、過去から現在に至る予定調和的な物語となるが、現在形で表わす限り、未来は見えない。作者はそのような状態の下での、主人公の感情や想いを、そして決意と意思を伝えようとし意識して現在時制を採用している。それは、我々が常に置かれている状態、すなわち時間に捉われない状態あり、そこに臨場感や、主人公への共感が生まれる。
このような表現方法は他の分野でも使われている。三好達治の詩「大阿蘇」は、

「雨の中に馬がたってゐる
一頭二頭仔馬をまじへた馬の群れが 雨の中にたってゐる
雨は蕭々と降ってゐる
馬は草をたべてゐる」

ではじまり、

「ぐっしょりと雨に濡れて いつまでもひとつところに 彼らは静かに集まってゐる
もしも百年が この一瞬の間にたったとしても 何の不思議もないだらう
雨が降ってゐる 雨が降ってゐる
雨は蕭々と降ってゐる」

で終わる。これについて「現在進行形の繰り返しによって、この情景には時間がないことが強調される。それがこの詩のテーマなのだ。」とドナルド・キーンは評している。「負けないで」も同様であると思われる。


パステルカラーの季節」
パステルカラーの季節とはいつを指しているのだろうか。自然界の季節を指している場合、それをどの季節と捉えるかは、人によってそれぞれ異なり、特定することはできない。
また、作者が、“季節”という言葉を使う場合は、心の有り様を、あるいは人と人との関係の状態の変化に伴う心の有り様を表していることが多い。どのような状況の場合にパステルカラーの季節と感じる方は、人によって千差万別であり、これも特定できない。
このように“パステルカラーの季節“という何気ない言葉は一見時季を特定しているようであるが、実際は本作品を聴く人の置かれた状況によってそれぞれ異なり、いつ、どこでも、自分のことを言っていると感じられ、季節、時代、年齢などの時間を超えて普遍的な意味をもつことになる。


「最後まで走り抜けて」
作者は、当初“あきらめないで”とあったものを“走り抜けて”変えている。これにより、詞に動きが生じ、視覚的なイメージも生まれる。
与謝蕪村の俳句に
月天心 貧しき町を通りけり”
というのがある。天の真上にかかっている月が照らす貧しい町並みを通り抜けていく情景を巧みに表している。通る、という言葉によって句に動きができる。走り抜ける、も同じである。何でもないような表現であるがいずれも推敲に推敲を重ねて初めて生まれてくる表現である。

三省堂は高校生用の英語の教科書(MY WAY)(2014年初版)で「負けないで」を採用しており、このフレーズについて、 “Don’t stop until the end”(最後まであきらめないで)を“Keep on running until the end”(最後まで走り抜けて)に変えた、それは、作者が、“This sounds more positive” (その方がより前向きに響くから)変えた、と説明している。

長くなるが、「負けないで」を取り上げた発行元の三省堂のコメントを紹介する。
「メロディーと共に流れてくる歌の歌詞には、人間の心に希望や勇気を与えてくれる強い力があります。(中略)
自分の好きな歌をひとりそっと心の中で口ずさむことによって、くじけそうな体の中から不思議に力が湧いて来ることを経験された人は多いことと思います。このような歌は世の中にそうたくさんはないと思いますが、その一つがZARD坂井泉水さんが作詞した「負けないで」という曲です。この曲は約20年間色褪せることなく今もって若者の間で、“人生の伴走歌”として歌い継がれてきています。
その秘密は何かと言いますと、それは坂井泉水さんが何度も何度も繰り返し繰り返し練り直して完成させた歌の歌詞にあります。打ち萎れた心、挫折感を味わった心の状態の時、ひとりそっと口ずさむことによって、自分の味方になっていっしょに人生を走ってくれる歌。その歌詞が自分を励ましてくれ、くじけそうな気持ちを振るい立たせてくれるのです。歌詞に込められたメッセージの受け取り方は、その人それぞれの環境や状況によって違うかもしれませんが、人生の応援歌としての役割は誰に対しても同じです。
これらのことを、英語教育という「ことば教育」の一環として考えてみたときに、「ことば」という目には直接みえないものですが、この「ことば」そのものがもっている大きな測りしれない「魔法の力」に気づいてもらい、そして、この多感で悩み多い高校時代を強く乗り切っていってもらいたい。そのような思いを込めて、ZARD「負けないで」を教材として取り上げさせていただきました。」


「どんなに離れてても心はそばにいるわ」
このフレーズは、作者の心が空間的な距離の制約から解放され、普遍的存在であることを表している。「パステルカラーの季節」という表現で時間を超え、「心はそばにいる」という表現で、空間を超えている。
楽曲との関係で言えば、織田哲郎氏の音楽葬でのコメント「メロディーを作った側の人間としては、『どんなに離れてても』 の“どんなに『は』で切るのはおかしいだろう”と最初すごく思ったんですけど、何回か聴いているうちにそこがすごく何かいいなと思うようになってきて、やられたなと思いました。」が全てを言い表していると思う。


「追いかけて遥かな夢を」
このフレーズは一見、簡単なようであるが、歌詞全体の解釈に関わる重要な点を二つ含んでいる。

ひとつは語順である。まず、通常の語順ではこれは「遥かな夢を追いかけて」となる。英語等と違って日本語の特性として言葉の順番を入れ替えても意味が通じることがあり、かつ、言葉やフレーズを文頭にもってくると、強調されるということがある。「遥かな夢」という静止した状態を表す名詞ではなく「追いかけて」と動詞を文頭に持ってきて強調することにより、作品全体に動きがでてくる。この「追いかけて」は、「走り抜けて」と対応することにより一層強調される。この点からも「あきめないで」を「走り抜けて」に変えたことが意味を持ってくる。

もうひとつは、意味である。「追いかけて」という表現は、それ自体では意味が完結しない。
まず、誰が追いかけるのかという主語が表されていない。これは日本語の特性としてよくあげられるもので、文脈上明らかなので省略される場合と、主語を特定せず、読み手や聴き手それぞれの判断や解釈に委ねられる場合がある。
後者の場合、「追いかけて(いく)」、「追いかけて(ね)」、「追いかけて(いこう)」など後ろにもうひとつ品詞補うと明らかになってくるので、それぞれのケースを考えて見る。

「“あなた”は追いかけて(いく)」では、主人公を捨てて夢を追いかける道を選んだ恋人が主語であり、と中立的な表現で恋人の行動を叙述しているにとどまっている。

「“私は”追いかけて(いく)」では、主人公が主語となり、主人公の意思や行動を叙述することになる。

「“私は”追いかけて(いこう)」では、単なる叙述にとどまらず、新しい世界に向おうとする主人公の意思と決意を表すことになる。

「“あなたは”追いかけて(ね)」となると、主人公が主語であり、恋人に呼びかけてエールを送っていることになる。
三省堂の教科書では、
“Follow the dream you’ll catch in the end”
と英訳されており、この意味に近いと思われる。自分を捨てて夢を追っていった恋人への恨みや憎しみではなく、また恋人に捨てられて、泣いたり、じっと耐え忍ぶのでもなく、新しい夢を追いかけていく恋人にエールを送っていることになる。しかし英語に翻訳すると、分かりやすくなるが、解釈は最初から限定されてしまい、日本語の特性を生かし、様々な見方ができる表現にした作者の意図が十分伝わらないおそれがある。

主語を複数と考えることもできる。
「“私たちは”追いかけて(いこう)」では、人々に呼びかけることになる。 “私たち”に、恋人も含むと考えれば、さらに悲しみや憎しみを超えた新しい世界が拡がる。

クロード・レヴィ=ストロースは、NHKの日本への眼差しというタイトルのインタビューで
「日本語の構造は一般性から出発して、特殊性へと進みます。人称代名詞の使用をあまり必要とせず、~ もっとも一般的な帰属から、もっとも特殊なものにまで順次降りていくことによって定義します。」

本作品では、一般性から特殊性へ主語が収れんしていく過程は、聴き手に委ねられている。自らの状況や経験にあわせて様々に解釈することによりその世界を広げていく。

さらに「あなた」という呼びかけは、本作品のストーリーの登場人物へのよびかけであるばかりでなく、歌い手から聴き手への呼びかけにもなる。聴くことは、自分に呼び掛けられることになり、それは歌い手から聴き手に対するエールとなる。
歌う人と聴く人との間に歌詞を、音楽を通じて共感が生まれ一つの絆で結ばれる。聴く人はそれを歌うことにより歌う人にもなり、時代、性別、年齢、立場などを超えて、共感の輪が広がっていく。

ロラン・バルトは、
 「ある作品が“永遠”なのは、さまざまな人に唯一の意味を強いるからではなく、ひとりの人間にさまざまな意味を示すからである。」
「テクストに永続的な力を与えるのは、そのテクストの永遠の単一な意味ではなく、むしろ、さまざまな時代にわたってさまざまな人々にさまざまな意味を示唆するテクストの能力である。」
と言っている。これは本作品にも当てはまるであろう。タイトルの「負けないで」も同様に様々な解釈が可能である。

 

「なにが起きたってヘッチャラな顔して どうにかなるサとおどけてみせるの」
困難なとき、逆境にあるときは、その状況が一見えているという意味では、乗り越えていく道もまた見えている。しかし、何が起きるか分からない、予測できない、あいまい、不安定、不確実な状況にあるときこそ、楽観的な前向きな見方を持ち続けること、それが負けない、ということである。
ヴィクトール・フランクルは、その著書「夜と霧」の中で、ナチス強制収容所での明日の命もわからない過酷な生活を生き延びるための方法のひとつとしてユーモアが大切であったことをあげ次のように述べている。
 「ユーモアも自分を見失わないための魂の武器だ。ユーモアとは、知られているように、ほんの数秒間でも、周囲から距離をとり、状況に打ちひしがれないために、人間という存在にそなわっているなにかなのだ。」
“なにが起きたってヘッチャラな顔して どうにかなるサとおどけてみせる”とはまさにこのことであろう。


「今もそんなあなたが好きよ 忘れないで」
あなたはまた私でもある。忘れないで、という呼びかけは、自分自身に対する呼びかけであり、聴く人に対する呼びかけである。自分自身の思いや、心の有り様をたいせつにしていつまでも忘れないで、とエールを送っている。

法隆寺を建立した聖徳太子に「不忘(ふもう)」という言葉がある。法隆寺の大野玄妙管長は、「これは文字通り「忘れないで」という意味」であり、「理想を実現することより、実現するための努力を片時も忘れないことが一番大切だということを意味する」と説いている。
これは、本作品で作者が伝えたかったことと同じであろう。

 

「私はいつも本当に言葉を詞を大切にしてきました。音楽でそれが伝わればいいなと願っています。」という坂井の思いが本作品にもよく現れている。

 

以上

揺れる想い
作詞;坂井泉水 作曲:織田哲郎 編曲:明石昌夫
初収録:8thシングル(1993年5月19日発売)
タイアップ:大塚製薬ポカリスエットCMソング

歌詞(CD&DVDCOLLCTION03)
揺れる想い体じゅう感じて
君と歩き続けたい in your dream

夏が忍び足で 近づくよ
きらめく波が 砂浜潤して
こだわってた周囲(まわり)を すべて捨てて
今 あなたに決めたの

こんな自分に合う人はもう
いないと半分あきらめてた

揺れる想い体じゅう感じて
このままずっとそばにいたい
青く澄んだあの空のような
君と歩き続けたい in your dream

好きと合図を送る 瞳の奥
覗いてみる振りして キスをした
すべてを見せるのが 怖いから
やさしさから逃げてたの

運命の出逢い 確かね こんなに
自分が 変わってくなんて

揺れる想い体じゅう感じて
このままずっとそばにいたい
いくつ淋しい季節が来ても
ときめき 抱きしめていたい in my dream

揺れる想い体じゅう感じて
このままずっとそばにいたい
青く澄んだあの空のような
君と歩き続けたい in our dream


心の軌跡を描く
作者の全ての作品に共通することだが、本作品も実際に起きた出来事を具体的に述べるというよりは、それから生じる内面の世界を描いている。内面の世界、心の世界であるが故に、時間はしばしば前後し、空間は必ずしも特定されない。ストーリーの中の時間や空間の視点は複雑に変化し、交錯し、絡み合う。

このため、使われている言葉や視点は非連続となり、一貫したストーリーがなく、脈絡のない世界の積み重ねの様に感じられる時もある。

しかし、聴く側にとっては、その非連続性の間に生じる余韻を感じたり、あるいはその間をつなぐように想像力をはたらかせそれぞれのストーリーを思い描くことにより、ひとつのストーリーとして統一して鑑賞することになり、作品の世界は大きく広がることになる。、

作者の作品が時代を超えて愛されるのはいつの時代においても、聴く人それぞれが独自のストーリーを創作できることがその要因の一つであると思われる。

内面の世界に由来する想いからうまれてきたものなので、使われている言葉は、様々な意味を包含しており、様々な解釈が可能であるが、ふだん使っている日常の言葉が多く用いられているため、聴く人の心に素直に入っていき、その心の中に、様々な反響を呼び起こす。

作者はこれらの日常の言葉を、丁寧に選び、様々に組合せることにより、心の世界における人と人との関係を、愛の形を、心の軌跡を歌い上げている。
それを見てみたいと思う。

詞の世界
夏がすぐそばまで来ていることにはっと気づく。忍び足、と擬人化することにより、夏の訪れに対する突然の気づきを表現していると同時に自分の心の中にも夏が訪れてきたたことに気づく。光を反射して“きらめく波”が“砂浜潤す”という初夏の海辺のさわやかな光景を冒頭にもってくることにより、この歌全体のさわやかなイメージが生み出されている。

こんな自分に合う人はもういないと半分あきらめてた、にも拘わらず、周囲の人々の反対を押し切ってまで、何故、“今 あなたに決めた”のか?

「他人の期待に反して行為するということは考えられるよりも遥かに困難である。時には人々の期待に全く反して行動する勇気をもたねばならぬ。世間が期待する通りになろうとする人は遂に自分を発見しないでしまうことが多い。」(三木清 「人生論ノート」)

主人公は、まさに自分の心に夏が訪れていることを、あなたを愛しはじめていることを発見した。自分の気持ちに正直であろうとするため、人々の期待、世間の期待に反してでも勇気を持って行動することを決めた。それは平坦な道ではない。 “体じゅう感じてという身体的感覚で表わされているのは、様々に思い悩み、微妙に揺れ動く心でもある。

きらめく波が砂浜を潤すという光景から引き起こされた自分の中の世界を見つめていた視線はここで再び外部に向けられる。海と砂浜から一気に夏の青い空へと広がっていく。爽やかな初夏の海と空、それは、君と歩き続けることにより、新たに広がる世界を象徴している。

夏の海と空に向いていた視線は一転して瞳に向かう。主人公は、恋人の瞳が、好きと合図を送っていることに気づく。

「愛されることを熱烈に求めているから、すぐそれに気づき、愛してくれる人の目にそれを感知する。なぜなら、目は心の通訳者であるから。だが、目の言葉がわかるのは、それに関心を持つ人だけである。」(パスカル 「愛の情念について」)

「わたしの眼を覗きこんで! あなたの美しい姿がそこに宿っている、ではなぜ唇に唇を合せないの? 目に目が会っているのに。」(シェイクスピア「ヴィーナスとアドゥニス」)

運命の出逢いとは、愛する対象がはじめから決まっていて、それと出逢うということではない。
季節が移って夏が来ていることに気づいたように、自分の心も変わっていることに初めて気づく。単なる出逢いに過ぎなかったものが、運命の出逢いに変わる。

主人公は、季節が移り変わっていくように心の有り様も移り変わっていくことを、高まった想いも、いつか秋の冷気が忍びより寒い冬が、淋しい季節が巡って来ることを知っている。
それでも、今感じているときめきを、今感じている愛をいつまでも忘れないでいたいと思う。

「淋しく感ずるが故に我あり
淋しみは存在の根本
淋しみは美の本願なり
美は永劫の象徴」
西脇順三郎 「旅人かへらず」より)

詩人が淋しさの中に永遠の美を見出だしたように、作者は淋しさの中に永遠の愛を見出だしたのではないだろうか。

最後に
本作品はポカリスエットのコマーシャルソングとして作られたものであるが、爽やかな夏、さまざまな困難を乗り越えていく恋、未来へのおののきや不安、それを受け入れて永遠の愛の道を進む決意を、さりげない言葉の中に見事に表しており、シェイクスピアの最も有名な詩を思い起こさせるかのようである。

きみを夏の日にくらべても
きみはもっと美しくもっとおだやかだ
はげしい風は五月のいとしい蕾をふるわせ
また夏の季節はあまりにも短い命

時には天の眼はあまりにも暑く照りつけ
その黄金の顔色は幾度も暗くなる
美しいものもいつかは衰える
偶然か自然の成り行きで美は刈り取られる

だが、きみの永遠の夏は色あせることはない
きみがもっている美はなくなることはない
死もその影にきみが迷い込んだと自慢はできない
きみは生命の系譜の中で永遠と合体するからだ

  人間が呼吸できるかぎり その眼がみえるかぎり
  この一篇の詩は生き残り きみに生命を与えつづける

シェイクスピア詩集より18番」(関口篤訳)

以上

『いつかは…』
作詞:坂井泉水 作曲:坂井泉水 編曲:明石昌夫
初収録:2ndアルバム「もう探さない」(1991年12月25日発売)
タイアップ:なし
歌詞(CD&DVD07)
Baby, Baby don’t you cry
静かな夕暮れに
残された日々 夢を見させて
どんなに時間(とき)を 縛ってもほどける
あとどれくらい 生きられるのか

いつかは情熱も 記憶の底へ
愛し合う二人も セピアに変わる

Baby, Baby don’t you cry
願いがかなうなら
あなたと共に 輝きたいの

いつかは新しい恋に おぼれる
過ぎゆく季節さえ 気付かないまま

いつかは情熱も 記憶の底へ
愛し合う二人も セピアに変わる

Baby, Baby don’t you cry
忘れないで ずっと
あなたの中に 生き続けるわ
Baby, Baby don’t you cry

 


創作のヒント
本作品は、1991年の11月、2ndアルバム「もう探さない」の収録曲で、自らの死を歌っている大変特異な作品である。この年の2月に1stシングル「Good-bye My Loneliness」でデビュー。これはオリコン最高位9位 とデビュー作としては成功といえる。
デビュー作が成功したこともあり、普通なら、作者も事務所もどうしたらもっとヒットさせられるか、世に中に受け入れられるか、と思いデビュー作の延長のような作品になることが多いであろう。しかし、本作品はそのような方向とは全く異なり、およそ一般受けするとは思えない。
本人のコメントが残っていないため、どういうきっかけでこの作品がうまれたのか今では窺い知ることはできないが、作者は24歳の若さでこのような作品を生み出している。
創作のヒントを探ってみたい。

ピカソの場合
若い時に死について深い洞察を思わせる作品を生み出した芸術家としてスペイン生まれの画家パブロ・ピカソ(1881~1973)がいる。
スペイン南部マラガで生まれたピカソにとっては、14歳から23歳まで住んだバルセロナが故郷だった。少し長くなるがいが美術評論家瀬木慎一氏による解説を引用させていただく。
ピカソの経歴で最初の最も輝かしい成功は、1897年16歳のときに描いた、大作「科学と恩寵」がマドリッドの官展で佳作となり、その後、マラガの展覧会で金賞を獲得したことである。今もバルセロナピカソ美術館にそのコレクションの中心として飾られている。
この「科学と恩寵」は、テーマも情調もともに悲痛である。今死につつある若い母を前にして、熟練した医師が脈を険しい表情で確かめ、その向こうでは、何も分からない幼児を抱きかかえた尼僧が見守っているという構図は、その写実技法が卓抜であることに驚かされるばかりでなく、作者がこの若年において死という人生における最も深刻な問題に、まったくひるむことなく立ち向かっている事実に、心を動かされる。
この構図には先例はなく、何に触発されてこの一点の深刻な絵画を描いたのかは、必ずしも明白ではない。しかし、単なる想像の所産とは考えられず、それに、この時期の作品に死に関わるものが少なくないことから、思春期にあって、これから長い人生を生きようとしているこの青年の身辺に、早くも、このこと、すなわち聖書の言葉で言えば、「メメント・モリ(死を忘れるな)」という戒めを自覚させる事例が、次々に起っていたにちがいない。」
若い時に、いわば芸術家としての一歩を踏み出した時に、このように死を見つめていた点が驚くほど似ている。しかもそのきっかけははっきりしていない。おそらく何かが外部で起き、それに影響されたというのではなく、自らの内面を凝視する姿勢がこのような作品を生み出したのではないだろうか。
初期のZARDのPVを撮影した岩井俊二監督は、「「初期のPVを撮っていた頃、坂井さんは“箱根の森美術館に行って、ピカソを見て来た。アーティストを目指すなら見ておいた方がいいかなと思って”と言っていた」と2019年4月にNHKBSプレミアムで放送されたZARD特集で述べている。作者はピカソの興味があると、しばしば述べており、あるいはこのとき、ピカソと出会い、影響を受けたのかもしれない。,
このように死を凝視する一方、ピカソは若いときから、死をひどく恐れていたことを周囲の人々は証言している。ブラックのような親友の死にも立ち会わなかった理由は、それだったという。

陶淵明の場合
もう一人、若い時に死をテーマにした作品をのこした芸術家として中国の陶淵明(365~427)をあげてみたい。
陶淵明南朝東晋から宋にかけての時期に生き、ほかの詩人と異なる、独自の文学を紡いだ特異な詩人であり、彼は、自らの日常生活の体験に根ざした具体的な内実を平明な飾り気のない表現で描いている田園詩人といわれている。陶淵明は、自分の死を想像したとして「挽歌に擬する詩」をのこしている。
当時の中国では「挽歌」というと葬送の野辺送りの際にうたわれた詩であるが、「挽歌詩」の特徴は対象となる「死者」が「他人」ではなく「自分」だ。という点である。淵明は自分自身の死をうたう。これは従来誰も試みなかったことであり、ほかに同様な作品はない。ここに彼の独創性がある。

挽歌詩(冒頭部分)
有生必有死  いのちあるものには、必ず死がある。
早終非命促  たとえ若くて死んでも、もっと生きられる運命が急にちぢまったというわけではない。
昨暮同為人  きのうの日暮にはともに生きていたのに、
今旦在鬼録  今朝はもう亡者の名簿に名を連ねている。
・・・      ・・・
(語釈)
「非命促」 「命」は、生命でなく運命。その人に与えられた運命が短縮されたというわけではない。死が必然である限り、何時死のうと、それがその人に与えられた運命なのであって、もっと生きるべく決められた運命が急にちぢまったのではない、という意味。

死について書かれているものの、この挽歌詩はおそらく死期が迫ってからの晩年の作ではなく、まだ死が現実として迫ってきていない時期の作と考えられている。
小川環樹教授は、「挽歌の詩」について、「私が久しく抱いていた疑問は、淵明がこの詩をほんとうに死が迫ったとき、わが国でいう「辞世」のようなつもりで書いたものだろうかということであった。淵明はこの詩だけで死の問題をとりあつかっているのでないからである。」と言っている。さらに、若い時の作品であるとすれば、「自分が現在おかれている場所から、いちおう引き離し、別に設定された状況の中で、組みたてた想像を語るということは、なにも淵明にかぎらない。詩あるいは文学というものはもともとそのようなものかも知れない。もしそれを虚構だというならば、そのような虚構は、詩人としての淵明の誠実さを少しもそこなうものではない」とも言っている。
若い時に死という虚構に直面したことがその後の彼の詩を深い味いのあるものにしているのではないだろうか。

後世へ大きな影響
ピカソ陶淵明、時代も場所も全く異なる二人に共通しているのは、若い時に、自らが直接死の危険にさらされたり、近しい家族や友人の死があったと訳ではなく、また彼らが取り組んだ芸術のジャンルに死をテーマにした先例はない。陶淵明の場合は当時の挽歌はあくまで他者の死を悼む葬送の詩であって自らの死ではない。
彼らに共通するのは、死に関する意識が外的な環境によるものではなく、全く内的な自発性に依存するものであるということである。それをモチーフにした作品を残し、それをベースとして、芸術活動を展開し、後世に大きな影響を生み出しているという点である。20世紀初頭にキュビスムを創始したピカソがその後の芸術に大きな影響を与えたことはいうまでもない。
 一方、陶淵明の文学は「生と死」の問題などさまざまな点で時代を超えた文学がでありこのため、同時代にはあまり知られておらず、後世の唐代以降広く文学のなかに浸透した。

ヘミングウェイの場合
アメリカの作家ヘミングウェイErnest. Miller. Hemingway(1899-1961)は、ファシズムに対するスペイン内戦時、それを対岸の火事(他人事)として傍観することを潔しとせずに、自ら戦地におもむいた。
その時の作品に、「誰がために鐘は鳴る」がある。
誰がために鐘は鳴る」という言葉は、イギリスで17世紀に農民運動を指導した詩人ジョン・ダンの詩にある言葉である。農民の団結(領主の圧制や囲い込みなどでひとりの農民が犠牲になったらそれは、農民全体の問題である、という詩でこれには他人の不幸に対する無関心への戒め、の意味が込められている。詩の最後の部分は、

だれの死も、私のそれ(死)にひとしい、
私もまた人類の一部であるから、
ゆえに人をつかわして
誰がために(誰の葬らいのために教会の)鐘は鳴っているのかと、
問うことをやめよ、
鐘は汝自身のために鳴っているのだ

で終わっている。
全ての人間はつながっている。したがって一人の死は他者の死でもある。そして一人の生は他者の生でもある。一人の精神はその肉体は滅んでも愛という絆で他者の生として生き続ける。

誰がために鐘は鳴る」はパラマウントで映画化された。自由のために戦う兵士ロバート・ジョーダン役のゲーリー・クーパーは死を決して作戦に赴くときに恋人のマリア役イングリッド・バークマンを抱きしめ、
“君の中に僕は生きている”という。
ヘミングウェイは“君の中に僕は生きている”という言葉でそこに生が受け継がれるという希望があることを明らかにした。

永遠の生
死はそれですべてが終わるのではない。
ピカソは、「科学と恩寵」で、今死につつある若い母を前にして、何も分からない幼児おそらくその母親の子供が描かれている。テーマは悲痛であるがピカソは母親の命が子供へと受け継がれていくことを描きたかったのではないだろうか。母親は子供の中に生きていく、そこに命の継承を見出そうとしているのではないだろうか。

本作品においても、作者はそこに救いを見出そうとしていたのではないだろうか。

“忘れないで ずっと
あなたの中に 生き続けるわ“

一人の人間が死んでも、その人と愛し合った人間の中に生じたその人は、生き続ける。あなたの存在は。愛し合った人を通じて、あなたの死後もこの世界に残り続ける。
そこに救いを見出そうとしている。

これは、本作品のみならず、作者がその活動を通じて一貫して言いたかったことであり、その根底にある愛を通じて多くの人の心の中に生き続け、時代を超えて永遠の命を保っていくと思われる。

以上

 

『君とのふれあい』
作詞:坂井泉水 作曲:大野愛果 編曲:葉山たけし
初収録:12thオリジナルアルバム『君とのDistance』(2005年9月7日発売)
タイアップ:
歌詞(アルバム盤)
永遠に感情を 胸にしまい込んでおくことはできない
海岸通りを歩いていくと 君の部屋が映(み)える

若かったあの頃は 夢は思い通りで
何でもできると思っていた

遠い旅をしているみたいに
別々の道を このまま...
二人もう 会えないのかな
もうサヨナラだね
君とのふれあい


ささやかな約束...  もしそこで待っていてくれなかったら
桜散りゆくように それを答えだと思う

支え合ったり ときには反発し合ったりで
未来(さき)の話(こと)を口に出すのが怖かった

涙流れるように
無器用で我がままだった
流れ星がみえるのかな...
大人びていたね
君とのふれあい

遠い旅をしているみたい
君のことをずっと思う
迷宮の彼方に
優しかった 君とのふれあい

夢を見ているみたいに
別々の道を このまま...
二人もう 会えないのかな...
もうサヨナラだね
君とのふれあい


作者のコメント
本作品について作者は、“とても温かな雰囲気の曲なので、人と人とのふれ合いを絵画的に詞として表現してみました”とコメントしている。
本作品は、一見、過去の成就することのなかった恋愛を回想しているようであるが、その中に、
“永遠に感情を 胸にしまい込んでおくことはできない”という現在形、
“もしそこで待っていてくれなかったら それを答えだと思う”
という未来の仮定法などが唐突にあらわれるという手法がとられている。
これは、過去を過去として見るのではなく、過去はその時点では現在であり、その現在の想いを述べていることによる。

絵画的な表現とは
このように複雑な時間構成を持つ本作品を、絵画的に詞として表現する、とはどういうことを意味しているのだろうか。
音楽は時間の芸術と言われるが、絵画には時間は存在しない。しかし、絵画に時間を感じさせる手法の一つとして、日本の絵巻物に特徴的な画法である「異時同図法」がある。
これは、一つの絵画の中に、同一人物が幾つか重複して姿を現わし、かつ行動する場面を描いたもので、同一人物の個々の動きの間には時間の経過が含まれている。その人物にとっては、それぞれの場面が現在であり、その現在における喜びや悲しみ、驚きや怒りなどを感じているが、時間の経過を感じているわけではない。時間の経過は、1枚の絵画に表現され、それを見ることによって初めて感じられる。
過去から現在に至るまでに起こった事柄はひとつの流れとしてつながっているように感じるがそれは、現在から過去を振り返ったときに結果として感じるのであって、それぞれの現在においては未来のことは予測できない。
作者がいう、絵画的とは、「異時同図法」のように時間の経過とともに変わっていくそれぞれの場面における人物の感情や予測できない未来についての想いのようなものを、一つの詞の中に描いている、ということではないだろうか。すなわち、この詞の主人公は、自分が登場する様々な場面とそのとき感じる想いを、見ていることになる。すなわち自分自身の姿を第三者的に、客観的に見ており、それについての想いがこの詞となっている。

日記の場合
これは、日記でも同じことが言える。日記は、その時その時の想いを書くもので、時間の経過は存在しない。本作品より前の2004年11月に発売された『淡い雪がとけて』には、
“古い日記を読み返してみると 他人(ほか)の人の話のようで”
という表現がある。日記に書くとは、その時その時の想いを自らの外に出して固定することである。記憶は自らの中にある限り、次第に変化するか忘れ去られていく。固定された記憶はもはや現在の自分ではなくなる。過去から現在に至るそれぞれの時点でのそれぞれの想いと現在との相違は、日記を読み返すことによりはじめて気付くことができ、そこに時間の経過を感じることになる。

異時同図法により描かれた絵画に登場する人物を、その人物自身が見ることは日記を読み返すことと同じであろう。この様な手法により、本作品を聴く人は過度の感情移入に陥ることなく、それぞれの時間の経過に想いを馳せることができる。

作者のメッセージ
このような手法により書かれた本作品で作者は何を伝えようとしたのだろうか。その鍵は冒頭の一行にある。
“永遠に感情を胸にしまい込んでおくことはできない”
これは何を言おうとしているのだろうか。このような表現に似たものとして、平安末期から鎌倉時代にかけての歌人である、式子内親王の歌
「玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば 忍ぶることの弱りもぞする」(新古今集
が思い浮かぶ。玉の緒は命を表しており、一首の意味は、「私の命よ、絶えるなら絶えてしまっておくれ。このまま生きながらえれば、心に秘めた恋心をこらえしのぶ心が弱ってしまいそうな気がしてならない」 と心中の思いが一挙に吐き出されたような歌である。

当時の社会事情によるものか、あるいは内親王という高貴な身分によるものか、いずれにしろ忍ぶ恋に耐えなければならない作者の想いが、冒頭の「玉の緒よ絶えなば絶えね」く強く言い切る表現により、時代を超えて伝わって来る歌である。

一方、本作品では冒頭に“永遠に感情を胸にしまい込んでおくことはできない”と、もはや忍ぶ恋の時代ではない、と宣言し、それに従って詞の世界を創り上げている。それは人の意思が何の制約も受けない自由な世界である。自由意志によって行動することが幸福につながるかどうかは別の問題であるとしても。本作品では恋は成就しないが、“永遠に感情を胸にしまい込んでおくことはできない”という作者のメッセージは失われることはなく普遍的な意味をもって聴く人の心に訴えかけてくるように思われる。

以上

『I still remember』
作詞:坂井泉水 作曲:栗林誠一郎 編曲:明石昌夫
初収録:5thアルバム「OH MY LOVE」(1994年6月4日発売)
タイアップ:
歌詞((アルバム盤)
波打ち際を ひとりきり
すべる太陽に
ホテルの午後は ひとけもなくて
時間(とき)だけが 流れてる
無言で切った電話に
私だと気付くわ
そう願いをかけて
あなたの連絡 どこかで待ってた

I still remember
どうして愛は この胸ひき裂くの
優しい言葉で別れを告げた
あなたはずるい人

ああ どんなにあなたを呼んでも
風に消えてゆくのね
二人は戻れない道を ただ
歩いて行くだけなの

出合って二年の月日は 長くて短かった
終わってしまえば花火のようね
夜空に夢見て
今頃あなたの横には
私よりやさしい彼女がいると
想像が先走る
確かめたいけど…

I still remember
あなたと過ごした
楽しい想い出ばかりが
浮かんでは心をかき乱すの
愛はいじわる

ああ どんなにあなたを呼んでも
想いは届かない
二人は戻ること 知らずに
ここから歩いて行くのね

I still remember
どうして愛は この胸ひき裂くの
優しい言葉で別れを告げた
あなたはずるい人

I still remember
あなたを呼んでも
風に消えて行くのね
二人は戻れない道を ただ
歩いてゆくだけなの


空虚な時間と空間
本作品は、失恋した一人の女性の心理を描いている。

ホテルの午後の人気の無いロビーに主人公はいる。ホテルは様々な人が集まるために作られた人工的な空間である。朝は大勢の人が慌ただしく出入りし、夜はまた新しい人々がやって来てにぎわいを取り戻す。しかし、今は午後のひと時、ひっそりとしている。空虚な時間と空間。人が集まるところに人がいない。それは恋人から別れを告げられた主人公の心の空虚さを象徴している。

詩人萩原朔太郎は「虚無の歌」という作品の冒頭でつぎのようにうたっている。
「午後の三時。広漠とした広間(ホール)の中で、私はひとり麦酒(ビール)を飲んでた。だれも外に客がなく、物の動く影さへもない。煖爐(ストーブ)は明るく燃え、扉(ドア)の厚い硝子を通して、晩秋の光が侘しく射してた。白いコンクリートの床、所在のない食卓(テーブル)、脚の細い椅子の數數。
ヱビス橋の側(そば)に近く、此所の侘しいビヤホールに来て、私は何を待っているのだらう?・・・」
詩人の感じているこの虚無は主人公の感じている空虚さに通じている。

森鴎外は彫刻家のロダンのモデルとなった日本人女性を描いた「花子」という作品の冒頭でこう述べている。
「オウギュスト・ロダンは為事場へ出て来た。広い間一ぱいに朝日がさしこんでいる。このホテル ビロンというのは、もとある富豪の作った、贅沢な建物であるが、ついこの間まで聖心派の尼寺になっていた。娘子供を集めて、の尼たちが、この間で讃美歌を歌わせていたのであろう。巣のうちの雛が親鳥の来るのを見つけたように、一列に並んだ娘たちが桃色の唇を開いて歌ったことであろう。そのにぎやかな声はいまは聞えない。しかしそれと違ったにぎやかさがこの間を領している。ある別棟の生活がこの間を領している。それは声のない生活である。声はないが、強烈な、錬稠せられた、顫動している、別棟の生活である」
ロダンの「為事場」と対比させることにより、朝の誰もいないホテルの広間の空虚な時間と空間が鮮やかに浮かび上がって来る。

花火の記憶
主人公は午後のホテルの空虚な時間と空間の中で、思い出に浸るしかない。その想いは現在から過去へと遡る。夜空に一瞬だけ輝く花火のような恋の思い出。

芥川龍之介は、人生に対する花火の比喩を、繰り返し使っている。とくに晩年の作に多く、人間の全人生はただ一刻の完全な瞬間の中に込められるとも書いているそうである。
短編「舞踏会」でも、人生を花火に喩え、記憶の中の鮮やかな瞬間を描いている。それは鹿鳴館での舞踏会。令嬢明子はフランスの海軍将校と出会う。二人は華やかな会場を離れバルコニーに出る。
「明子と海軍将校とは云い合わせたように話をやめて、庭園の針葉樹を圧している夜空の方へ眼をやった。其処には丁度赤と青の花火が、蜘蛛手に闇を弾きながら将に消えようとする所であった。明子には何故かその花火が、殆ど悲しい気を起こさせる程それ程美しく思われた。“私は花火の事を考えていたのです、我々の生(ヴィ)のような花火の事を” 暫くして仏蘭西の海軍将校は、優しく明子の顔を見下ろしながら教えるような調子でこう云った。」
夜空の花火の人生がすべて込められた完全な瞬間を描いている。

花火の一瞬に人は様々な思いにとらわれる。若くして亡くなった女優夏目雅子の俳句。
“間断の 音なき空に 星花火”
彼女は病を得て病院に入院していたとき、治療のため病室は完全に閉され無菌状態におかれていた。そんな夏の一夜、病室の窓から見る神宮の森の上に煌めく花火。密閉されているため音は聞こえず花火の光だけが星空に見える。この句を読んであらためて花火とは光つまり視覚だけのものではなく、音つまり聴覚や、火薬や夏の夜の匂いといった嗅覚にも訴えるものであることに気づく。その音や匂いのない花火、それは日常の生活の営みから遮断されたしまった悲しみでもあり、一方それゆえに今まで気がつかなかった光だけの花火の美しさにはじめて気づき感動する、そんな一瞬をとらえているように思われる。この句からは何か透明な哀しみのようなものが感じられる。

このように様々な人が、空虚な時間や空間、花火に込められた思いを描いてきた。本作品もそれらと共通するものが感じられる。

未知の道
“二人は戻れない道をただ歩いて行くだけなの”
というフレーズが2度出てくるが、1度目では“道”は高低のない平板な普通のアクセント“mi-chi”であり、、2度目では最初の“み”に高音のアクセントが置かれている。アクセントを大文字で表わせば“MI-chi”となる。

井上陽水の「少年時代」では、
“八月は夢花火”というフレーズが、1回目では“夢”は高低の無い平板なアクセント“yu-me“、2回目では“ゆ”に、つまり最初の音に高音のアクセントが置かれて“YU-me”となっている。
楽曲上の技法として、歌詞で同じ言葉が何度か繰り返されるとき、最後のリフレーンで高低のアクセントを変えることによりこれが曲の最後の部分、クライマックスであるというサインにもなっているようである。

しかし、本作品の場合それだけではない。“MI-chi”というアクセントの言葉があるからでそれは「未知」である。つまり「道」と「未知」が掛詞(かけことば)になっている。

単純に発音だけみればどちらも“mi-chi”なのでそれで十分掛詞になる。しかし日本語では、発音と漢字の結びつき及び漢字と意味の結びつきが強いという特徴がある。1回目は、意味的にも漢字でも「道」なので、耳で聞いてもmi-chi =道となる。しかし、2回目に、「未知」という意味もたせようとしても十分に認識されないおそれがあり、楽曲上の技法をうまく使ってアクセントの違い表わすことが考えられる。1回目はmi-chi =道ですが、2回目はMI-chiとすれば「未知」という意味が生れ2つの言葉がスムーズに掛詞として生きてくる。

つまりここでは発音は同じでもアクセントが異なる二つの言葉を楽曲上の技法をうまく使って結びつけられている。
この結果、“戻れない道を行く”とは“戻れない未知の世界へ行く”という意味も持ってくる。二人にはそれぞれ戻れない道を行くしかない。それは同時に未知の世界へ歩み入ることでもある。


感情移入をしない
本作品は失恋した女性という悲恋のストーリーであり、詞の上からその悲しみは伝わってくる。しかし自分を選ばなかった相手に対する憎しみや恨みなどは感じられない。

主人公は、悲しみの原因を自らの外なるものに求めようとするのではなく、悲しみを直視し、かつて外部にではなく自らの内部に目を向けようとしている。そこに至るまでの苦しみや悲しみを経験しなければならなかったにせよ現実の世界をあるがままに受容しようと決心している。現実を受け止め、その上で、その悲しみを乗り越えるために前向きに生きていこうと決心している。

作者は悲しみを、よく見定めている。出来事より、その出来事が主人公の心に及ぼす作用のほうに大きな関心をもっている。悲しいといってただ泣いているわけではない。独りよがりの告白や感想に寄りかかり、もたれ掛かり、自己満足に陥っているわけでもない。

映画監督の小津安二郎は、「喜怒哀楽だけを、一生懸命写し取ってみても、それで人間のほんとうの心、気持が現せたとは言えない。悲しいときに笑う人もいる」。だから彼の至高の目的は、「人間を描く。それも喜怒哀楽の表にでないやつを」だった。

悲しみに溺れず、負けず、これを見定め、これをはっきりと感じ、心の眼で見た悲しみを静謐な言葉によって描いている。それによって表現されている世界は、自立した客観物と化している。

憎しみや恨みなどというネガティブな感情からは何ものも生れないことを作者は知っている。あるいは作者の天性の優しさがそのような感情を持つことを拒んでいるのかもしれない。

詞の中には、“無言で切った電話”、“あなたはずるい人”など、怨念を感じさせる怖い感じの表現もある。しかし作者はこれを演歌調の曲でこぶしなどきかせて歌うことはしない。寺尾広ZARDの特徴と1つして「過剰に感情移入をしすぎないで歌う」ということをあげており、曲の面、歌い方の面からも、感情移入しないという行き方は徹底している。

作者のメッセージ
主人公は前に進む決断をする。それが困難な道であっても。

「愛においては、人はすべてを失いはしないかと懸念してあえて冒険しようとしない。とはいえ、前進しなければならない。だが、どこまで前進するかを、だれが言えよう。その地点を見いだすまで、人はつねにおののく。」「愛の情念について」(パスカル

悲しみのなかでも前向きに希望を持って未知の世界へ踏み出す主人公の繊細な心理の移り変わりを描いた本作品のメッセージとそれを歌う作者の想いは、普遍的な意味を持ち私たちの心に響く。

以上

『サヨナラ言えなくて』
作詞:坂井泉水 作曲:栗林誠一郎 編曲:池田大介
初収録:3rdアルバム『HOLD ME』(1992年9月2日発売)
タイアップ:なし
歌詞(CD&DVD09 )
窓ににじむ city lights
ぼんやり雨の音を楽しんでる
長すぎる夜の過ごし方
上手(うま)くなったみたい

優しすぎた 別れの言葉が
今もよみがえる memory
まだどこかで 想い出の中の
あなたを探してる

目覚めのコーヒー苦く 飲みほす
朝の景色 霞んでる
今頃どうしているのかと
カレンダーを覗く

最後の夏 あざやかな shiny blue
胸の奥が切ない story
まだどこかで あなたを待ってる
サヨナラ言えなくて

最後の夏 あざやかな shiny blue
胸の奥が切ない story
まだどこかで あなたを待ってる
サヨナラ言えなくて

 

感覚の世界
本作品の視点は主人公で統一され、主人公の感覚から心の中に生じる記憶、悔恨といった様々な感情を描いている。

ホテルの一室、雨の夜、都会の灯り、一人で迎える夜明けというある意味ではありきたりな情景も、主人公の感覚から生じる心象として描くことにより、単に説明的に描写するのとは異なり、それ自身が意味を持ちはじめる。

>窓ににじむ city lights(視覚)
>雨の音(聴覚)
>これらか生じる雨の夜(嗅覚)
>朝の景色(視覚)、
>苦いコーヒー(味覚)
>覗く(わずかな動作から生じる体感)

これらの感覚は融合し過去の失恋の記憶を呼び覚まし、心は揺れ動く。

「長いこだまが遠くとけあうように、夜のように光のように広大な、
暗く深い合一の中で、においと色と音とがこたえあう」
ボードレール「交感」)
という感覚と通じるものがあるように思われる。

視覚や聴覚で感じている外部の世界は、夜、雨、かすむ朝景色、といずれも暗い。これに対し、カレンダーを覗くことによって夏の海と空のshiny blueの記憶があざやかによみがえる。その中で、どこかにいるかつての恋人をさがしている。しかし、どこか、は現実の世界にはなく記憶の世界にしかない。
現実の世界と記憶の世界には越えがたい溝があり、その悲しみを静謐な詞で歌い上げる。


言葉使い
言葉使いにも細心の注意が払われている。

「最後の夏 あざやかな shiny blue
胸の奥が切ない story
まだどこかで あなたを待ってる
サヨナラ言えなくて」

このフレーズには、最後、shiny、切ない、story、サヨナラ、と14文節中の5つがS音(サ行音)で始まっており、静かな悲しみを音韻的に効果的に表している。S音が静寂、静謐を想起させる。

S音の効果は遠く万葉集の頃か知られて歌に取り入れられており、俳句においても
「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」という芭蕉の句は
閑かさ、しみ入る、蝉というS音を効果的に使いが静寂さを表している。
ドナルド・キーンはこの俳句を英語で
How still it is!
Stinging into the stones
The locusts’ trill
と訳しており、S音による効果は個々の言語の壁を乗り越えていることがわかる。
作者は日本語と英語という2つの言語にまたがって音韻のかもし出す効果を生かして詞を作っている。


また、story、memoryという英語はいずれも最後が発音上iで終っており脚韻を踏んでいる。shiny、cityもまたi音で終わっており、これらは曲調とよくあって切なさが一層感じられる効果を生んでいる。

以上

眠れない夜を抱いて
作詞:坂井泉水 作曲:織田哲郎坂井泉水 編曲:明石昌夫池田大介
初収録:4thシングル(1992年8月5日発売))、3ndアルバム「HOLD ME」(1992年9月2日発売)
タイアップ:TV朝日系『トゥナイト』エンディングテーマ
歌詞(アルバム盤)


ざわめく都市(まち)の景色が止まる
あの日見たデ・ジャ・ヴと重なる影
もしもあの時 出逢わなければ
傷つけ合うことを 知らなかった

いじわるに言葉はすれ違うけど
愛を求めてる

眠れない夜を抱いて
不思議な世界へと行く
まだ少女の頃の
あどけない笑顔に戻って
in my dream mystery

こぼれた夢のカケラをすくって
慣れてゆく毎日を確かめてゆく
もしもあの時 少し大人になってたら
サヨナラ言えなかった

解けてゆく孤独な心はいつも
愛を求めてる

眠れない夜を抱いて
駆け抜けた時間(とき)を想うの
まだ少女の頃の
あどけない笑顔に戻って
in my dream mystery

眠れない夜を抱いて
不思議な世界へと行く
まだ少女の頃の
あどけない笑顔に戻って
in my dream mystery

眠れない夜を抱いて
駆け抜けた時間(とき)を想うの
まだ少女の頃の
あどけない笑顔に戻って
in my dream mystery

 


作者の言葉
この作品について、作者はインタビューでつぎのように言っている。
 「この『眠れない~』については、・・・ずーっと年を重ねてくると、良いこと悪いことがたくさんありますよね。たまにそんな昔の過ぎた出来事を振り返るのも必要じゃないかな、たまに振り返って改めて今の自分の位置とか今の自分を確認して、その上で前に進むこともいいんじゃないかな、ということなんです。
 歌詞の中に“デ・ジャ・ヴ”という言葉が出てくるんですけど、それが全体のテーマになってますね。
主人公の女性がデ・ジャ・ヴを感じとるところから始まって、ストーリーが展開していくんです。
デ・ジャ・ヴを体験して“あの頃に戻りたい”という気持ちになる。メロディーの変化とともに現在、過去、未来の時間の経過を表したという感じかな。
「デ・ジャ・ヴがインスピレーションで浮かんできたんです。デ・ジャ・ヴと重なる場所は好きな人との思い出の場所なんです。だから、もう一度デジャヴで見た頃に帰りたいといって、メルヘンチックな詞なんです。」

 

歌詞の内容
作者の言っていることを歌詞に沿って確かめてみたい。
歌詞の内容を時系列に並べて見ると、
「ざわめく都市(まち)の景色が止まる」のは現在であり、別れたのは過去、出逢ったのは過去の過去、出逢った時に浮かんだデ・ジャ・ヴは過去の過去の過去となる。「まだ少女の頃」はさらにそれよりもさらに過去になる。

「現在、過去、未来の時間の経過を表したという感じかな」という作者の言葉通りの世界が描かれている。しかし内容はそれほど単純ではないように思われる。

デ・ジャ・ヴとは、実際は初めて体験したことが、すでにどこかで体験したことのように感じる現象といわれている。本作品では「あの日見たデ・ジャ・ヴ」(=過去の過去の過去)とはすなわち「ざわめく都市(まち)の景色」(=現在)であり、時間が交錯している不思議な世界である。

「時間の経過を表したという感じ」は実は単なる時系列を表すというよりは、その間を自由に行き来する心の経過を表すと言った方が作者の意に近いのではないかと思われる。
これらの時は外部の世界にあるのではなく、すべて心に記憶として存在し、心は自在に現在と過去を行き来し感じている。あたかも1枚の絵画に、過去から現在までのすべての情景が描かれており、それを一瞬のうちに見ることができるように。

 

文体
文体の面から見ても、文末の時間の表現、いわゆる時制が、現在と過去の2つの分かれかつ交錯している。

ざわめく都市(まち)の景色が止まる(現在)
傷つけ合うことを 知らなかった(過去)
愛を求めてる(現在)
不思議な世界へと行く(現在)
慣れてゆく毎日を確かめてゆく(現在)
サヨナラ言えなかった(過去)

語尾が「た(ta)」系の過去形と「る(ru)」や「く(ku)」系の現在形が、ランダムに現れており、心はその間を自由に動いている。

 

他の作品との比較
このような時の流れを様々な視点から取り上げることは坂井の作品の特徴の一つであり、例えば、「不思議ね…」(1991年6月)や、「DAN DAN心魅かれてく」1996年7月)がある。

「不思議ね・・・」では、冒頭に、
流れてゆく街並/すれ違う景色が知らず知らずのうちに/崩れてゆく 
とあり、動きが感じられ、動きが時間を生じさせる一つの要因となっている。

これに対し本作品では、冒頭の部分は
ざわめく都市(まち)の景色が止まる/あの日見たデ・ジャ・ヴと重なる影
と動きはなく、静止している。

時間の流れを表すのは、「不思議ね・・・」では動であり、本作品では静である。

「不思議ね・・・」ではまた五感による外部からの刺激による生じる感覚や季節感があるが、本作品では心の中の動きに焦点をあてている。

また作者は、「デ・ジャ・ヴと重なる場所」について、歌詞にはないが、好きな人との思い出の場所、とコメントしている。

これについては、「DAN DAN心魅かれてく」(1996年7月)で、
君と出会ったとき/子供の頃 大切に想っていた景色(ばしょ)を思い出したんだ
とあるのが作者の持つイメージを表しているようである。

さらにDANDANでは恋愛の三角関係、すなわち当事者以外の第三者の存在があるが本作品では第三者は登場せず、もっぱら内面で感じる時の流れとの心の動き、に焦点を合わせている。

このように見て来ると、他の作品と比べた本作品の最大の特徴は、外部の環境や状況ではなく、心の中に焦点を当てていることである。これにより、記憶にある時そのものが鮮明に浮かび上がり、それは「不思議な世界へと行く」ことである。


未来への視点
時がそのようであることを感じることは、必然的に未来へも目を向けることになる。

「ながらへば またこのごろや しのばれむ 憂(う)しと見し世ぞ 今は恋しき」 (藤原清輔)
という古歌は、憂し、すなわち辛いと思っていた時も、それが過去になれば恋しく感じられる。それならば現在辛いと思っていても、未来になればやはり恋しく思い出すかもしれない、と未来に対する期待を感じている。

「たまに振り返って改めて今の自分の位置とか今の自分を確認して、その上で前に進むこともいいんじゃないかな、ということなんです」という作者の思いは、「こぼれた夢のカケラをすくって 慣れてゆく毎日を確かめてゆく」という詞に表されている。
出逢いと別れ、悔恨という、切ない状況を述べながら、単に過去に捉われるのではなく、時を感じることによって、「駆け抜けた時間(とき)を想う」ことによって未来へ目を向けることができるということを伝えようとしている。


タイトルの由来
眠れない夜を抱いて」というタイトルにもサビの部分にもなっている、本作品の最もキーとなるフレーズは、時の流れの中で、不安にさいなまれたり希望に満ち溢れたりと、揺れ動く心情をあらわしている。
この耳慣れない比喩表現はどのようにしてうまれてきたのだろうか。

そのヒントになりそうなのが19世紀のフランスの詩人アルチュール・ランボーArthur Rimbaud, 1854年 - 1891)である。彼の詩集「イリュミナシオン」の中には「眠られぬ夜」というタイトルの詩があり、また「夜明け」という作品には、

「俺は夏の夜明けを抱きしめた

目覚めると正午だった」

という表現がある。ランボーは「夜明け」を、作者は「眠れない夜」を抱きしめている。作者は、影響を受けた芸術家としてオーストリアの詩人リルケや画家のピカソをあげている。リルケはフランスでも詩作をしており、またピカソにはランボーを描いた作品があり、その関係から影響を受けたのかもしれない。

以上