『サヨナラ言えなくて』
作詞:坂井泉水 作曲:栗林誠一郎 編曲:池田大介
初収録:3rdアルバム『HOLD ME』(1992年9月2日発売)
タイアップ:なし
歌詞(CD&DVD09 )
窓ににじむ city lights
ぼんやり雨の音を楽しんでる
長すぎる夜の過ごし方
上手(うま)くなったみたい

優しすぎた 別れの言葉が
今もよみがえる memory
まだどこかで 想い出の中の
あなたを探してる

目覚めのコーヒー苦く 飲みほす
朝の景色 霞んでる
今頃どうしているのかと
カレンダーを覗く

最後の夏 あざやかな shiny blue
胸の奥が切ない story
まだどこかで あなたを待ってる
サヨナラ言えなくて

最後の夏 あざやかな shiny blue
胸の奥が切ない story
まだどこかで あなたを待ってる
サヨナラ言えなくて

 

感覚の世界
本作品の視点は主人公で統一され、主人公の感覚から心の中に生じる記憶、悔恨といった様々な感情を描いている。

ホテルの一室、雨の夜、都会の灯り、一人で迎える夜明けというある意味ではありきたりな情景も、主人公の感覚から生じる心象として描くことにより、単に説明的に描写するのとは異なり、それ自身が意味を持ちはじめる。

>窓ににじむ city lights(視覚)
>雨の音(聴覚)
>これらか生じる雨の夜(嗅覚)
>朝の景色(視覚)、
>苦いコーヒー(味覚)
>覗く(わずかな動作から生じる体感)

これらの感覚は融合し過去の失恋の記憶を呼び覚まし、心は揺れ動く。

「長いこだまが遠くとけあうように、夜のように光のように広大な、
暗く深い合一の中で、においと色と音とがこたえあう」
ボードレール「交感」)
という感覚と通じるものがあるように思われる。

視覚や聴覚で感じている外部の世界は、夜、雨、かすむ朝景色、といずれも暗い。これに対し、カレンダーを覗くことによって夏の海と空のshiny blueの記憶があざやかによみがえる。その中で、どこかにいるかつての恋人をさがしている。しかし、どこか、は現実の世界にはなく記憶の世界にしかない。
現実の世界と記憶の世界には越えがたい溝があり、その悲しみを静謐な詞で歌い上げる。


言葉使い
言葉使いにも細心の注意が払われている。

「最後の夏 あざやかな shiny blue
胸の奥が切ない story
まだどこかで あなたを待ってる
サヨナラ言えなくて」

このフレーズには、最後、shiny、切ない、story、サヨナラ、と14文節中の5つがS音(サ行音)で始まっており、静かな悲しみを音韻的に効果的に表している。S音が静寂、静謐を想起させる。

S音の効果は遠く万葉集の頃か知られて歌に取り入れられており、俳句においても
「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」という芭蕉の句は
閑かさ、しみ入る、蝉というS音を効果的に使いが静寂さを表している。
ドナルド・キーンはこの俳句を英語で
How still it is!
Stinging into the stones
The locusts’ trill
と訳しており、S音による効果は個々の言語の壁を乗り越えていることがわかる。
作者は日本語と英語という2つの言語にまたがって音韻のかもし出す効果を生かして詞を作っている。


また、story、memoryという英語はいずれも最後が発音上iで終っており脚韻を踏んでいる。shiny、cityもまたi音で終わっており、これらは曲調とよくあって切なさが一層感じられる効果を生んでいる。

以上