『遠い日のNostalgia』

作詞:坂井泉水 作曲:望月衛介 編曲:明石昌夫
初収録:3rdアルバム『HOLD ME』(1992年9月2日発売)
タイアップ:
歌詞(アルバム盤)
日暮れ時 よく二人で歩いたね
まだ風が寒い 春の日々を
空見上げ 輝いてるあの星たち
手に届きそうで そっと伸ばした
ごめんね 内緒であの子と出かけたこと
すぐ話せば許してくれた?

あの日言えなかった言葉は今も
この胸の中で眠ってる
あの時 もう少し勇気を出せば
君を失わずにすんだかも It’s too late
遠い日のNostalgia

ひっそりと 息を止めたアルバムには
途切れた幸福(しあわせ)のhistory
二人とも明日の行方知らない笑顔
無邪気な昔 胸が痛い
やっぱり駄目だよ
今でも気になってるから
話せば許してくれた?

あの日言えなかった言葉は今も
この胸の中で眠ってる
あの時 もう少し大人になれば
後悔は半分ですんだのに It’s too late
遠い日のNostalgia

あの日言えなかった言葉は今も
この胸の中で眠ってる
あの時 もう少し勇気を出せば
君を失わずにすんだかも It’s too late
遠い日のNostalgia

 

作者は、「メロディを聴いていると言葉が聞こえて来る」といって何回も聴いていた」と言っている。そこからストーリーのアイデアが生まれ、ストーリーに会ったフレーズを膨大なメモの中から選んで、ジグソーパズルを組み立てるように作品を生み出していると思われる。このような観点から本作品のいくつかのフレーズについて考えて見たい。


“あの日言えなかった言葉は今も この胸の中で眠ってる”
美智子皇后に次のようなお歌がある。
「言の葉となりて我よりいでざりしあまたの思ひ今いとほしむ」(「瀬音」)
公人としてまた私人としてのお立場からご多忙な日々を過ごされる中でこころの中に生まれた様々なお思いを詠まれたのであると思われる。

また作者が好きだったという石川啄木に次のような短歌がある。
「かの時に言ひそびれたる 大切な言葉は今も 胸にのこれど」(「一握の砂」1910年)
これは啄木が函館の弥生尋常小学校の代用教員をしていたとき、片想いの相手であった同僚の女性についての想い出を詠んだ歌であると言われている。

かつて言葉に表すことが出来なかった様々な想いを、振り返って懐かしむ、ということは多くの人の経験することであり、それぞれの立場からその思いを言葉にして表現しているのは大変興味深い。
いずれも“今”という言葉が共通してあるが、“今”、振り返って過去を懐かしむ気持ちになるというのは、単なる懐旧の情というよりは、未来を想うことによって過去の想いが心の中に浮かび上がってくるということではないだろうか。そこには、未来への期待が込められているように思われる。


“ひっそりと息を止めたアルバムには 途切れた幸福(しあわせ)のhistory
アメリカの作家、スーザン・ソンタグはその著「写真論」の中で、「ある美しい対象(被写体)は、老化したり、衰退したりしたため、あるいはもはや存在しないために、悲哀の印象をあたえるものとなる。(中略)。写真を撮るということは、他の人間(あるいは物)の死すべき運命、こわれやすさ、変わりやすさを共有することである。この瞬間をまさしく裁断し、凍らせることで、すべての写真は時の容赦のない溶解作用を証言する」と言っている。

“ひっそりと息を止めたアルバム”にあるのは、まさに裁断された“幸福(しあわせ)のhistory”であり、“二人とも明日の行方知らない笑顔”である。その“無邪気な昔”は、まさに時の容赦のない溶解作用にさらされている。それはもはや存在しないために、悲哀の印象をあたえ、“胸が痛い”。

「ひとは、写真の静止した映像を前にして、解釈的夢想に際限なく耽けることができる」  (バルト「明るい部屋」)が、自らの行為によって引き起こされ、しかし“あの時 もう少し勇気を出せば君を失わずにすんだかも”という際限ない解釈的夢想は切ない。
作者は「フォトグラフ」(1999年2月発売)や「お・も・ひ・で」(1999年12月発売)等でも写真やアルバムについて取り上げており、様々な視点から意識し考察している。


“まだ風が寒い 春の日々を”
作者は、多くの作品で、ストーリーの舞台となる季節を意識的に選択し、そこに意味を持たせている。本作品では、“まだ風が寒い 春の日々”という時季、すなわち冬から立春を経て春へという時季、を選ぶことによって失恋という感傷的なストーリーの中に、明日への希望を見出そうとしている。
このフレーズは、「早春賦」(吉丸一昌作詞)の冒頭の一節“春は名のみの 風の寒さや”を思い起こさせる。立春が来ていよいよ春を持ち焦がれる思いを歌った「早春賦」の言葉は本作品の思いと通じるところがあるように感じられる。
冬の想い出を懐かしみながらも春への希望に目を向ける、という作者の姿勢は、聴く人の共感を呼ぶように思われる。

以上