『星のかがやきよ』
作詞:坂井泉水 作曲:大野愛果 編曲:葉山たけし
初収録:40thシングル「星のかがやきよ/夏を待つセイル(帆)のように」(2005年4月20日発売)
タイアップ:読売テレビ系アニメ『名探偵コナン』オープニングテーマ
歌詞(アルバム盤)
そう出逢った瞬間に 同じ臭(ひかり)を感じた
そう 思いがいっぱいいっぱい 同じ瞳をしていた
君の発していたシグナルに セオリーをぶち壊して
だけどこの念(おも)いは いつも届かなくて
  
  けんかしようよ
価値観をぶつけ合って
もっと大きく 世界を目指そう

星のかがやきよ ずっと僕らを照らして
失くしたくない少年の日の夢よ
いつかこの町が変わっていっても
君だけは変わらないでいて欲しい...


この瞬間瞬間を 機械はメモリーできるけど
記憶は その時の気持ちまでも 一瞬にして忘れるけど...
あんなに誰よりも近い存在だったのに
別れてしまうと他人より遠い人になってしまうね

  ちゃんと逢って 目を見て話したいね
  低空飛行をやめ エンジン全開で

星のかがやきよ ずっと僕らを照らして
失くしたくない少年の日の夢よ
何かが終われば また 何かが始まる
悲しんでいるヒマはない!
スタートしよう

星のかがやきよ 本気で世界を変えたいと
思ってる私のヒーロー まぶしいね!
いつか この町が変わっていっても
君だけはかわらないでいて欲しい

君だけは変わらないでいて欲しい...

 

 

本作品について作者は
“こちらはTV「名探偵コナン」のオープニングナンバー。星=スター。星=サン・テクジュペリ。そんなキーワードから作詞を広げていきましたので、やはりお子様や世界に飛び出していく才能ある若者、孤独なヒーローへの応援歌のような曲となりました。久しぶりにアップチューンでノリの良いPOPな楽曲です。”
と言っている。サン・テクジュペリの影響を中心に考えて見たい。


“星のかがやきよ ずっと僕らを照らして”
“低空飛行をやめ エンジン全開で”

サン・テクジュペリ(1900-1944)はフランスの作家としてまた飛行士としても活躍し、代表作として「南方郵便機(1928)」、「夜間飛行(1931)、「人間の土地(1939)」、「星の王子さま(1943)」などがあり、いずれも飛行士としての体験から生まれている。

彼は、20世紀前半の南米大陸で創成期の飛行機の飛行士として手紙の郵送などの航路開発に従事し、それらを題材に、一連の作品を残した。人々との思いを込めた手紙をできるだけ早く輸送できるような新たな航空路の開発は、大西洋や南米の大草原の横断、険阻なアンデス山脈越え等困難と危険に満ちており、実際彼は何度も命にかかわるような遭難をしている。
当時の航空エンジンの出力は十分でなく安定性に欠け航続距離も短かった。
無線通信の性能は低く不安定でとぎれとぎれにしか通じない。もちろんレーダー等はない。夜間の飛行は、自分の位置を知るためには星が頼りであった。星の輝きは彼らにとって生命の綱であった。
気象情報もなく、突然襲って来る大平原を襲う嵐を乗り越えるためには高度を上げなければならない。不安定な出力の弱いエンジンを全開にし、低空飛行をやめ高度をあげて飛行するには飛行士の高度な技術が頼りである。酸素の薄い高空をエンジン全開で飛べば燃料はかさむ。
スピードとコストを競うという厳しい競争のため企業は危険な飛行を要求する一方で、燃料の消費量を厳しくチェックし、多く消費する飛行士を叱責し査定を下げる。

彼はアンデス山脈越えにも挑むが、乱気流、不安定な天候の中で墜落し遭難してしまう。救いを求めて山中を彷徨したときの経験をこう記している。
「だが、こう自分に言いきかせたのだ。わたしの妻は、もしわたしが生きていると信じているなら、歩いていると信じているはずだ。仲間たちも歩いていると信じているはずだ。みんなが私を信頼している。歩かなければ、わたしは卑怯者だ。」

星の王子さま」は「大切なものは、目に見えない」と、子供の心を失ってしまった大人に向けて生命や愛の大切さをテーマに書かれている。
これについて冒険家の三浦雄一郎は「作者は、“なぜ憎しみ合うのか?僕らは同じ地球によって運ばれている連帯責任者だ、同じ船の乗務員だ”と言うことを伝えたかったのだ」と言っている。

このように危険や困難に立ち向かい、新しい航路を開拓して行く飛行士の姿が作者に感銘を与え作品のバックボーンとなっているように思われる。
愛と友情と信頼関係があれば生きる勇気が生まれ困難を乗り越えて新しい世界を切り開いていくことができる。これは提供するアニメのテーマとしてまさにぴったりである。

 

“この瞬間瞬間を 機械はメモリーできるけど 記憶は その時の気持ちまでも 一瞬にして忘れるけど...“

サン・テクジュペリは「精巧な機械を操っても、きみは無味乾燥な技術者にはならなかった。物質的な豊かさだけを期待して戦う人間は、生きる価値のあるものをなにひとつ手に入れることはできない。だが、機械は目的ではない。飛行機は目的ではない。それは道具だ。」と言っている。

ビッグデータの時代になり、デジタルデータの特徴の一つである「忘れることができない」という側面がクローズアップされてきている。これに対し、人間の記憶は容量に制限があり、かつあいまいである。AI時代の到来に伴い、この矛盾は拡大し、人間は機械に、人工知能に圧倒されていく。「AIは東大に合格できるか」ということが話題になる時代になってきている。このような未来の社会への漠然とした不安に対し、作者はどのように時代が変わろうとも最後は人間を信じることが大切だということを伝えようとしている。


“けんかしようよ 価値観をぶつけ合って もっと大きく 世界を目指そう”

またサン・テクジュペリは「人間関係も、労働条件も、習慣も、わたしたちの周囲のあらゆるものが、きわめて急速に変化した。わたしたちの心理自体も、そのもっとも内的な基盤において揺るがされてしまった。離別、不在、隔たり、帰還といった観念にしても、語こそおなじであっても、もはやおなじ内実を含んではいない。ひとつひとつの進歩が、ようやく獲得した習慣のそとに、すこしずつわたしたちを追い出してきた。わたしたちはまさに、まだ祖国を建設しえない移民たちだ。」と言っている。
このような状況であることを感じつつ、作者は「旧来の価値観が失われるのを嘆く代わりに新しい価値観を、世界を目指そう」と言っている。


“そう出逢った瞬間に 同じ臭(ひかり)を感じた”

臭うという漢字を“ひかり”と発音するのは、一見奇異であるが、実は本来の言葉の意味から自然に導き出されたものである。広辞苑の編者の新村出は、
「ニホヒという言葉は元は色彩あるいは光、光線についていったもので、神(god)または人の威光などが自ら発散して放出されるような場合に使われた。花がニオウとは、香りを放つというよりはむしろ、はでな色、大変美しく目に映ずる色という意味で、ニホフといったのである。そのうちに同じものから色と香と両方を強く現すために、例えば花がニオウといえば、その色彩美とともに芳香美が伴うようになった」という意のことを言っている。
作者は、言葉のこの意味を捉え、出逢った若い二人がともに輝いている一瞬を見事に描いている。
それは、歌詞の後半の“星のかがやきよ 本気で世界を変えたいと 思ってる私のヒーロー まぶしいね!”につながっていく。


“失くしたくない少年の日の夢よ”
“いつか この町が変わっていっても 君だけはかわらないでいて欲しい”

こうしてみると本作品は、まさに「お子様や世界に飛び出していく才能ある若者、孤独なヒーローへの応援歌」と作者の言う通りである。

以上